人間に成り切った神がなぜ神を拝むのか?

支離滅裂な行為

人間とは神がそこに収納された姿です、この小さい体の中に神は見事に納まりました。ということで神は人間に収まって生活を続けるわけですがとにかくこの環境は狭くていけません、しかも力も弱ければ頭脳もそれほどでもない、、、ということで異常なストレスが溜まります。これが神の人間生活です。日々の生活にほとほと疲れ果てた神こと人間は、、、何かに縋らずにはいられません。ということで人間は神を崇拝するという行為に打って出ることになります。自分でこの小さな体に潜り込んでおいてそこから神を崇めるという支離滅裂な行為が神頼みです。

神が人間をやるのは疲れる

神にとって人間をやるのは非常に疲れます、なぜならばこの体は余りに小さすぎるのです。この宇宙全体であった神はこの小さな体に収まってしまうわけですからエスパー伊藤並に大変な荒技です。彼も体を壊したようですが当然神はストレス爆発状態になります。そして周囲もストレス爆発状態ですからそこに助けを求めるものお門違いということで神こと人間は神様を祀って崇めるという行為をすることに至るのです。

本当の崇拝は自身が神であることを思い出すことにあり

神社とは「自分」とは完全に分離した偉大な存在(神)を祀る場所ではなく、、、自分自身が実は神であったことを思い出す場所です。自分が実は神だった、この事実を思い出すために神社はあります。ですからそこで神様に何かを願うのではなく、本当の自分の姿を思い出すのです。何かを願っても叶わない理由は、、、叶える存在が自分自身だからです。自分自身が神であることをただ忘れそれで苦しんでいるのが人間です。

(Visited 3 times, 1 visits today)