神が見る夢

執着が夢化する

仏教の真髄

仏教では執着を無くせ、足を知れ、、、、という言葉が有名ですが、、、これって要は執着が夢化するからです。執着が夢化してその人の前に現れ、、偽りの自己へ誘うのです。例えばお金に執着がある場合、、お金に関する有象未曾有の誘い見かけ上のその人の前に出現します。そして本当は欲しいんだ、とそこに手が伸びるです。ところがそのお金に関する有象未曾有は自分というものを強烈に意織させます、なぜならばそれを手に入れたいのはこの自分だからです。

究極のリラックスが人を引き寄せる

多くの場合究極のリラックスに近づいていきますと、、そのリラックスが人を引き寄せます。楽しそうですね、嬉しそうですね、、、となるのです。つまり自身から(見かけ上)発せられるリラックスによってこの画像の中の見かけ上の人物が反応を起こしてくるのです。これによって自身の執着が現れます、、高感度の高い私、人気者の私、有名な私です。。。これによってまた強烈なリラックスを所有した私が現れ、、私ストーリーが生まれます。

有名人

有名人になれる人とは間違いなく何かしら才能を発揮しているわけですから、、、偽りの自己ではない状態を意織できるはずなんです。つまり軽い悟り状態にあるはずです、、ところがそこでその人の背景から現れる人物が寄ってたかってその人に集まることで、、、「私」を強烈に意織せざるをえなくなります。悟り潰しが起こるのです。これ欲しくないですか???この人を紹介しますよ、、今度こんなビジネスをしませんか????とエンドレスに「私」を誘うことになるでしょう。

自我ゲームに引き摺り込もうとする動き

実際には

映画マトリックスでは、、、目覚めようとする主人公NEOに対し、、エージェントスミスがまるで悪意があるかのように徹底抗戦するわけですが実際のこの世界(夢)では、、、誰一人この見かけ上の「私」を悪意を持って目覚めさせない、、、という動きは起きません。そこには何の悪意もなく、、、ただ反応としてひたすらにこの「私」に話しかける(この中に私が居るという前提)が起こります。

関心は夢化し

「まっちゃんマジで????」がYahooニュースの記事になれば、、、松本人志のニュースがガンガン夢化し、、、見かけ上の「私」を誘惑します。異性に興味があれば「可愛い!!」と思う子が、、、私の前に現れては誘惑します。「あれ俺のことあの子見てなかった????」が起こるんです。地震が怖ければそれが連発し経済不況が怖ければそれが連発する、、、恐れていことは次々に夢化し、、その影響を受けるかもの「私」を意織させるのです。

「私」に関心がある限り

実は実はこの「私」という架空の存在に関心が集まる限り、、「私」を取り巻くドラマが終わることはありません。そうです「私」に関心があるからこの「私」ドラマが続くのです。「私」に関心がなくなりますと「私」ドラマが起きないんです。この夢では関心が広がるようになっています。真実に関心が集中しますと真実が広がっていき「私」ドラマが終焉に向かいます。「私」に本当に関心があるのかないのか????です。

「私」はなぜ生まれたのか????

究極の問い

私ってなんのために生まれたんでしょうか????簡単です、それが起こっただけです。「私」が起こったのです、、たまたま、、。なぜ目の前で雨が降るのか?????この現象に意味は100%ないんです。もしも理由があったのならば、、、その理由を作った理由が必要になり、、その理由にはさらにそれを起こした理由が必要になり、、その理由が起きるにはさらにそれを起こす理由が必要になるんです。つまりつまり理由とは絶対に存在しないんです。全ては化学反応のようにただ起きたのです。

「私」が理由なく起こったならば「私」は理由なく消える

「私」が理由なくただ起こったならば「私」は理由なくただ消えるでしょう、この時間軸の世界、夢で。そうなるともう「私が居る」という全思考、全感情が消えます。そこからは「私が居る」という前提から起こる思考、感情が抜け落ちた現象が起こり続けます。神が「私は居る」という認識がない状態で「私」を演じるという自覚のもとにこの現象が続きます。

悟りを本を読んでいるのは誰だ???

「私」じゃないんですか???

マリオがゲームの中で本を読み理解するって可能でしょうか????桜木花道が漫画の中で本を読み理解するって可能ですか????間違いなく無理です、、、ゲームをやっている人、漫画を読んでいる人しかそれは不可能ですね。つまりつまり悟り本を読んで内容を把握するのは「真我」「神」「大いなる存在」です。だんだん悟り本が分かってくる????その気づきは神から起きているんです。

神以外は誰も経験していない

この世界、この夢の世界で、、経験できる存在はこの夢を見ている神だけです。神以外に経験者が居るとしたらその時神は何をしているのか????暇すぎますよね????私が経験し神は見守るだけとしたら神は暇人になってしまいます。。。私が極旨ラーメンを食べている時、、神がそれを観察するだけならば神はめちゃくちゃ暇ですよね、、だいたいなんのための世界なんだ???ということです。ですからこの世界の経験は全部私と思い込んでいる神がやっているのです。

美味しいラー麺は神が味わっている

美味しいラーメン、エグい映画、めちゃくちゃ強いタバコ、、、味わっているのは全部神です。神が全部味わっておいて「私」が味わったという勘違いを神が起こし、、そして美味しい、不味い、という感情を起こし、、神がそれを経験しているのです。この全てが完全自動運転で起こっているのです。これを操作する神はなく、、ただ全現象が神から起こり神が感じるを続けています。

神が腹を立てる?????

もしも全経験を神がしているならなぜ神が腹を立てるんですか????ショボすぎでしょ、、、、、残念!!!この世界は全感情、全思考、全行動を経験する場所なのです。そのために神があらゆる仕掛けを起こし腹立つ!!!!という仕組みを作ったのです。「私」という存在を立ち上げ、、「私がやられた!!」という思考を立ち上げ、、それに体が反応し、、怒り!!が湧きます。全ては全部化学反応です。「私」という感覚すら化学反応で起きたのです。「私」という思考が「私が悪口を言われた」という思考を作り出し「私が悪口を言われた」という思考が「怒り」という感情を起こしているのです。化学反応が連鎖しているだけです。

あまちゃん

能年玲奈に戻る????

あまちゃんというドラマが以前大ヒットしました、国民的スターになった能年玲奈さん。今は違う芸名でやっているらしいですが。。。あのドラマは日本国民があまちゃんという役に夢中になりあまちゃんは大有名キャラに。その演者が能年玲奈さんです。彼女はどこへ行ってもあまちゃんと呼ばれ続けたことでしょう、プライベートでも。そのあまちゃんですが、、、彼女があまちゃんになり切ってしまって生きるとしましょう、、これが我々の自我活動です。

いつか能年玲奈に戻る????

悟りとは一瞬です、覚醒とは一瞬です、、、いつか私は能年玲奈に戻る?????その発想がもうおかしいのです、毒が染み渡っています。あまちゃんから能年玲奈に戻るために苦労や努力、成し遂げるための何かは必要ありません。能年玲奈はその場で急に自身が能年玲奈であったことに気づくのです。いつか、、どこかで、、という発想こそがギャグです。

どうやったら????

どうやったら能年玲奈に戻れますか????この質問も完全に洗脳されてしまった状態から起きます。のんというのが役でありそれに気づくだけです。のんとは実在はしない、、ただし役としては実在した、、幻想として、役として、、周囲から認識は確実にされていた。だがそれは幻、役であって実在ではない、、、となります。あなたは本当はのんをやっていた能年玲奈なんだ、、、です。

何を言われても面白い

私に向かってくる罵詈雑言

この夢の中、幻想の世界では見かけ上の「相手」はこの「私」が「私」をやっているという前提で様々な罵詈雑言を放ってくることもあるかもしれません。ですがこちらは背景であることがもう分かっていますから「私」に焦点を当てた罵詈雑言は、、勘違いであることが分かります。だからどこに向かって言っているんだろう???本当の私はそこには居ないのに、、、という一歩離れた視点で話を聞くことができるのです。

アンジャッシュの勘違いコント

アンジャッシュというコンビが頻繁に勘違いコントをやっていましたが、、、まさにあの感覚、、勘違いしながらのコミュニケーションが起こるようになるのです。実際にはこちらがその勘違いを理解した上でコミュニケーションは続くのでトラブルにはならないのですが、、面白い感じになります。夢の中のこの登場人物はこうやって勘違いを引き起こしているんだなーという気づきです。

全ての苦しみがそこに在ると思うと

この勘違いがすべての苦しみを引き起こしているわけですが、、その現場をコミュニケーションの場では感じることができます。まさに悟りの練習問題、課外授業です。画像の中の画像(登場人物)がこの画像(体)に話しかけてくることで、、さもこの体がこの画像の主役である、そこに人格があるかのような勘違いがそこで生まれます。そしてこちらが反応し返すことで、勘違いコントが生まれます。

「在る」の共有

在るは全員が共有する

覚者、悟り人、覚醒者という存在が、、もしも居るなら(居るようには見えるが)彼らは「在る」という状態に居ます。この在るという状態は、、どこか特別な場所にあるのではなく、、、全員が今感じている「在る」です。誰しも感じている「在る」という感覚「存在している」という感覚、、「意織している」という感覚「気づいている」という感覚、、、ここに居ます。スピでいう、、、特別な感覚を所有していたであろうアセンデッドマスターのような人々は存在せず、、「在る」が最終ゴールであるに気付けるか否かだけだったんです。

会話をする

会話が成立するということは、、「言葉に気づく」を共有しています。この言葉に気づく、、、は聴覚の力ではなく、、、音をそのままに静寂が気づいているのです。この気づきを気づきのままに気づいている見かけ上の人々が覚者、覚醒者、悟り人と呼ばれる人々です。多くの人はこの気づきを「私」が感じた、、、という概念の世界を信じており、、これは嘘です。ですからそのまま音に気づいた私は音楽活動を始めた、、という流れで嘘が膨らんでいくのです。

嘘が膨らみ

嘘が膨らんでいくことで、、生きていること自体が徐々に重くなっていきます。なぜならば嘘を信じると、、「苦しい」が自動的に湧くように設定されているからです。嘘を重ねるごとに重りが徐々に増えていき、、生きている=重いになります。ですが生きている以上この嘘を信じないでは生きていけない時期があるのは確かです。どこかのタイミングでこの嘘に気づき嘘を嘘と見抜いて生きていきますと、、「苦しい」が湧いてこなくなるのです。

裏を探らなくていい

新紙幣発行

新紙幣が発行されます、学者、経済学者、政治学者、あらゆる分野の知識人がこの政策にはこういう背景がありまして、、、、のような意見を出します。そすです、全ての政策には裏があるのだ!!!ですね。ところがそれは全くやらなくていい、関心を持たなくていい、、、のです。なぜか???コレは夢ですから関心が湧くとその分野が広がるだけなのです。例えば新紙幣発行には財務省の真の狙いがあって、、、ではなぜ財務省が???それはアメリカ政府が裏で、、、アメリカ政府の裏にはウォール街の資本家が、、、、とここでもエンドレスに続いていくのです。これがこの夢の特徴なのです。

裏を作りたい人は関心を持つ

政治に興味を持って何が悪いんだ?????ですよね。。。ですが残念ながらなぜ政治に興味が湧くかと言えば、、将来不安、今後の自身の動き、根っこにはやはり不安が隠れているのです。だからそこに興味を持てば不安が敵中!!となるだけです。自我はこの世界でいかに戦略的に損得勘定的に生きるかに関心がありますから放っておけば当然そちらに興味が湧くのです。

どんな状況だろうと

どんな状況であろうと、、この世界はプラスマイナスゼロになるように夢は広がりますから、、、現象を現象として楽しめばそれでいいのです。そしてこの現象を生み出す大元が我々の本質であることは分かっていますから不安、恐れをベースにした行動ではなく、、シンプルに楽しいことをやるのがいいのです。

失敗できないという重責

これを現実とすれば

これは現実で、この体には「私」が居て、、私には自由意思がありこの世界をこの私が自由意志を駆使してサバイブするんだ、、、という概念に染まりますと、、、、頭が良い人ほど、、、あらゆるリスクを考慮し、重くなります。リスクが見えれば見えるほどにそれに対応を迫られますからこれはきつい。あらゆる保険に入りまくってその保険料で首が何重にも巻かれた状態になります。

頭が良いからこそ

頭が良い人にとってこの人間の初期設定『この体、この思考は私』という概念は恐ろしく重い重い設定なのです。だからエックハルトトールは恐ろしいほどの重圧の中で悟りを開きました。あれは頭が良過ぎる故の重責ではないでしょうか。逆に言えば、、、これが夢かも!!!という気づきに頭が良い人が至ったら、、その理解はとんでもなく早い、、なぜならば夢という想定では何一つ矛盾がないのです。これは現実、、、こちらは矛盾だらけで正解がない、、これは夢、、、は正解しかない、、、となります。

どこでリミットオーバーになるか

「この現実の世界をこの私がサバイブする」この発想はどこかでリミットオーバーになります。なぜならば初期設定のこの現実は、、現実ではないからです。初期設定が間違っているのですから全く正解のない世界を私がサバイブしていかなくてはならずクリアは不可能なのです。勘違いをベースにした人生戦略は歩めば歩むほど矛盾をダイレクトに受けるので辛くなるのです。

夢だと分かって夢を生きる

これが夢だと見抜く最大の障壁はなんでしょうか???それは周囲に合わせて生きていく、、、というこの作戦と、、、コレが夢だと気づくという事実があまりにもかけ離れていることです。この夢の多くの方は周囲に合わせて安心する、、という作戦を信じ切っていますから、、、どれほど苦しくてもその作戦を変更できないわけです。そうなると限界リミットオーバーしかこのパラダイムシフトを起こせない、、となります。あくまで夢の中のストーリー上ですが。

これを「現実」と想定して生きる大変さ

失敗が許されない

「たった一度のこの人生」これが現代人類最大のプレッシャーです。この人生は一回しかなく、、この私は一回しかチャンスがない、、だから失敗などしていいはずがない。。。。このたった一回の人生で失敗したら、、虚しいにもほどがある、、、、だから私は怖いし、重いし、慎重だし、、常に怯えなくてはいけない。だけどそれは当たり前でこの「私の人生」は一回きりなのだから。。。これが人類共通の病です。

神経症的生き方

誰も悪くないんです、、この宇宙にたった一人で生きている、、という観念、価値観は、、、絶対に失敗は許されない、、、という脅迫になります。だから心配で心配で心配過ぎるのです。。。すべてのことが。絶対に失敗をしない生き方を、、しなくてはいけない。。となって当たり前なんです。悠々自適に、、、いやいや、、、それで失敗でもしたらどうなるんですか?????となります。

子供と自己超越の違い

子供はなぜ大人がこれほどまでに失敗を恐れるかが分からないんです、、子供は例の概念がありませんからただピュアに、、無邪気なのです。。。ですが自己超越、これが夢だと悟りがあれば、、、大人の怯え、恐れ、恐怖症を理解できるんです。理解できた上で、、自身はナチュラルにこの夢を生きることができます。相手が神経症状態でありことが分かっていますから、、その上でのコミュニケーションが成り立つのです。