「在る」の共有

在るは全員が共有する

覚者、悟り人、覚醒者という存在が、、もしも居るなら(居るようには見えるが)彼らは「在る」という状態に居ます。この在るという状態は、、どこか特別な場所にあるのではなく、、、全員が今感じている「在る」です。誰しも感じている「在る」という感覚「存在している」という感覚、、「意織している」という感覚「気づいている」という感覚、、、ここに居ます。スピでいう、、、特別な感覚を所有していたであろうアセンデッドマスターのような人々は存在せず、、「在る」が最終ゴールであるに気付けるか否かだけだったんです。

会話をする

会話が成立するということは、、「言葉に気づく」を共有しています。この言葉に気づく、、、は聴覚の力ではなく、、、音をそのままに静寂が気づいているのです。この気づきを気づきのままに気づいている見かけ上の人々が覚者、覚醒者、悟り人と呼ばれる人々です。多くの人はこの気づきを「私」が感じた、、、という概念の世界を信じており、、これは嘘です。ですからそのまま音に気づいた私は音楽活動を始めた、、という流れで嘘が膨らんでいくのです。

嘘が膨らみ

嘘が膨らんでいくことで、、生きていること自体が徐々に重くなっていきます。なぜならば嘘を信じると、、「苦しい」が自動的に湧くように設定されているからです。嘘を重ねるごとに重りが徐々に増えていき、、生きている=重いになります。ですが生きている以上この嘘を信じないでは生きていけない時期があるのは確かです。どこかのタイミングでこの嘘に気づき嘘を嘘と見抜いて生きていきますと、、「苦しい」が湧いてこなくなるのです。

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