悟り(非二元)解説

映画「マトリックス」はこの夢から覚めるヒント集

大いなる一つは自身をNEO(キアヌリーブス)と勘違いすることからスタートする

マトリックスの映画はこの夢から覚めるための教科書です。大いなる一つが自身をNEOと勘違いすることからこの映画はスタートします。主人公は仲間からこれは夢だということを教わり、半信半疑ではあるもののその真意を確かめようとします。するとエージェントが現れその活動を阻止しようとするのです。この夢の中にどっぷりと浸からせるためにあらゆる形をとってエージェントは出現しこれを阻止します。友人だと思っていた相手が突然エージェントに書き換わることなどこれが夢であることの一つの特徴です。これは夢ですからそこに出てくる登場人物は変幻自在で書き換えられていくのです。

昨日まで良き理解者だった友人が突然エージェントになる

我々が見ているこの夢ではこれまでの親友が突然エージェントになることがあります。これは夢ですから当然なのです。昨日まで性格が悪かった友人が突然に誠実になることもあるでしょう。夢ですから。あなた(全存在)が夢から覚めないように変幻自在で人はエージェント化していきます。夢ですから。主人公ネオは無心になって戦い続けていくことで突然夢から覚め自身が大いなる存在であることを思い出すのです。その時これまで最強だったエージェント達は崩壊します。ネオが夢から覚めるポイントになったのが武術です、無心、無我こそが夢から覚めるヒントであることを物語っています。無心、無我状態とは大いなる一つとのアクセスポイント、大いなる一つを起こすゲートです。

夢の中であなたが認識していないことは起きていない

昨晩あなたが見た夢の中であなたが認識していないことは確実に起きていない

これはあなたが(全存在)が見ている夢ですからあなた(全存在)が認識していないことは夢の中では絶対に絶対に起きていません。夢の中であなたが認識していないことは絶対にないのです。凄い悩んでいる友人がいても何を悩んでいるかあなたが認識していないならば中身はないのです。存在しません。これはあなたが見ている夢ですからあなたの許可なく何かが勝手に起こっていたなどあり得ないのです。

夢を見ている時のあなた(全存在)の気分は夢の内容に大きく影響する

夢を見ている時のあなたの気分は夢の内容に大きく影響します。ストレスフルな時のあなたの夢の内容が残虐な時が多いようにあなたの気分はこの夢物語の内容に大きく影響します。だからなるべく気分良く過ごすことは重要です。ですがもしもハッピーしかない夢物語だと退屈の苦しみが襲ってきますから結局はあらゆることがこの夢では起こります。夢である以上、不足感が湧き続けるのは間違いないからです。この夢物語の初期設定は不足感です。大いなる一つが人間を主人公にしたこの夢は欲求不満が基本です。大いなる一つという壮大無変な存在がこんなちっぽけでひ弱な存在を主人公にしたてあげれば欲求不満が自動的に湧き続けるのです。

夢だと気づけば気付くほどに深刻さは確実になくなる

このブログは私(全存在)が夢の登場人物(全存在の現象)に向かって夢から覚める方法を説くという意味不明の活動です。私(全存在)が人間の私(全存在の現象)の体を借りてその他の登場人物に夢から覚める方法を説くという意味不明なことをやっています。夢から覚めるのは全存在であってこの夢の登場人物(主人公)、登場人物(その他の人々)ではありません。登場人物はこの夢のキャスターでありキャスターの夢を覚ます必要はないのです。

起きている間、変化だけがあるそれだけ

熟睡している時は何も起きていない

朝起きて寝るまで変化が起き続けてきます。太陽の位置、風の強さ、天候、気温、、、、あなたが認識した瞬間その事実だけがあります。寒いな、暑いな、風が強いな、、これだけが事実です。それ以外は何も起こっていません。今日は台風ですという天気予報があって実際に台風が来ていたとしてもあなたが部屋にいて全く台風に気づかなかったら台風は起きていません。実際に起きていないのです。天気予報を聞いたという事実を除いては。

カフェで音楽を聴いている瞬間そこに音楽がある

カフェでおしゃべりに集中していて音楽が全く聞こえていなかった時、音楽は起きていません。話疲れてその瞬間に音楽が耳に入ったその瞬間に音楽が現れます。それだけです。あなたが認識していない音楽はこの世には存在していないのです。急に聞き覚えのある音楽に気づいたらその瞬間音楽がそこに出現するのです。それだけです。

部屋の中のキャンドルがふと目に入る

部屋の中のキャンドルが目に入るその瞬間にキャンドルが現れます。それまでキャンドルはこの世には存在していません。部屋の観葉植物が目に入る、その瞬間に観葉植物が現れます。それまでは存在していません。人間とは認識できていない人のこと、景気経済、世界情勢、環境問題、温暖化現象、、、あらゆることを危惧し不安になり悩みますが認識できていないことは起きていません。空想に浸っているだけ時間の無駄です。もちろん空想に浸るもあなたの意思に関わらず湧いていたならそれはそれです。悩み、苦しみもあなたの意思に関係なく湧いてきてそれをただ認識する、それだけが事実です。

人もいなければ自由意志もない

あなたの視界で認識できないことは存在しない

目の前に友人が居るとしても、その友人の感覚、「これが私だ」という感覚を認識することはできません。目の前にいる確実に人間として見えるその友人が確固とした確率した自我があることをあなたは認識できないはずです。認識できない=事実ではないということです。あなたを通じた全存在が認識していないことは事実ではない。これに行き着きます。友人が次から次へと自身の意見を述べてきたとしてもその意見がその友人の中から湧いていることを認識できません。認識できるのは言葉と表情のみ、つまりそれだけが事実です。それ以外は事実ではなくただの予想です。

友人と旅行に行っている間

友人と4泊五日で旅行に行ったとしてその間友人とは何十時間と話をすると思います。一緒に食事をして一緒に寝て、一緒に観光して、、、その間あなたが認識していることだけが事実です。途中友人が悩んで考え込んでいるように見えてもその思考は見えません、感じることができません。それは事実ではありません。あなたの前から友人が離れて一日中一人行動をしたとしてもその間その友人はあなたの視界から消えます。その間その友人はこの世は居なくなります。これが事実です。

旅行中あらゆる人々に出会うとしても

旅行中あらゆる人々に会ったとしてもその人たちはあなたの前から外れた瞬間からこの世には居なくなります。あなたが認識できなくなったらもうそこには居ないのです。全存在が認識していないことは事実として起こっていないのです。ただそれだけです。事実は認識していることのみ。全存在が認識していないことは事実として起こっていないということです。

自分=ストレス発生器ならば自分を無くす以外にこのストレスは消えない

安心してください、全部を手に入れたあの人も同じストレスを抱えている

自己啓発本、成功法則本、あらゆるノウハウがこの世には出回っていますが、その作者はしっかりとストレを抱えて生きています。著名人、有名人が成功ドキュメンタリードラマになり放送されていようとその人は今もなお確実に苦しんでいます。人生とは悩みの種類が変わり続けるというストーリーである、悩み、ストレスが無くなることは絶対に絶対にありません。それはこの心身こそが自分自身だという勘違いこそがこのストレス発生源だからです。

不幸そうに見えるあの人も、幸福そうに見えるあの人も同じストレスを抱えている

自分は人間であるという勘違いをしている限り、幸福そうに見える人も、不幸そうに見える人も、人生ストレスの総合量はほぼほぼ一緒です。なぜならばストレス、欠乏感、欠落感の発生システムとは自分をこの心身だと勘違いすることから生まれているからです。この誤解、錯覚を抱えた状態でいくら稼ごうと、いくら人気者になろうと、いくら崩壊しようと、、トータルストレスは変わりません。欠乏感からの逃避行動が今できているか、いないか、、ただこれだけです。

どれほどの徳を積もうと何も関係がない

あの人は人格者だ、あの人は徳が高い、あの人は運気が良い人だ、、、、幸福に関して全部嘘、偽り、偽証です。幸福しかないと宣っている人はそう偽ることで何かしらの利益を得ようとしているだけです。残念ながらこの心身こそを自分自身と勘違いしている、これが人生ドラマだと気づいていない時点で不足感、欠乏感の根本に気づいていません。良い人、人格者が不足感の呪縛から解放されると思っているとしたらまだまだ甘いということになります。不足感、欠乏感は大いなる一つがこの心身こそが自分だと勘違いすることから生まれるのであってそこに人格や徳の多少は何も関係がないのです。

苦しみの根源が分かってしまえば苦しみの五割は消える

なぜ苦しいのか?苦しみの根源がわからないから

人生がなぜ苦しいかと言えば苦しの根源がわからないからです。クラスで人気者になろうと、学年で一番の成績を残そうと、学校一のスポーツ選手になろうと、超進学高に進めても、高収入を得ても、子宝に恵まれても、苦しみが終わることはありません。新しい苦しみを解消すると必ず次の苦しみが出現します。新しい目標を達成すると必ず次の目標を目指さなくては苦しくなります。この無限地獄をどうしたら終わらせることができるのか?この答えを明確に持っている人はほぼいません。

苦しみの根源はまさか自分がいないのに居ると勘違いしていること

この人生ゲームの苦しさの原因をほとんどの人が見抜けないのには理由があります。それはこの自分がいるという事実が実は事実ではないということです。この心身こそが自分だということが実は錯覚なのです、ここから欠落感が湧き出しているとは誰も見抜けません。なぜならばこのストレスを解消しようとこの自分が頑張ってきたのです、なぜ自分自身の勘違いがこれを生み出したなど見抜けるでしょうか。ストレスはこの社会、国、人間関係が生み出したのだと信じたいのです、いきなり自分の錯覚がストレスの根源など認めるわけにはいきません。必死に問題解決を努力してきた自分自身こそがストレス源など、、冗談じゃないという話です。

諦めてください、今求めている欲求全てが満たされても翌月には不足感が湧いている

今求めている欲求の全てが魔法によって全て満たされても翌月には不足感は何も変わらず起きているはずです。残念ながらどれほどの大きな欲求が叶ってもこの事実は変わりません。なぜならばどんな夢、目標が叶ってもそれを叶えたと思っている自分自身がこのストレス、不足感を発現し続けているからです。まさか自分でストレスを発生させそれを解消し続けていたとは気づいていないはずです。先ずは自身でストレス、不足感、欠乏感を発生させそれを解消しようとする無限地獄を作っていたとは。この世で最も尊いと思っていた自分自身こそが不足感の発生源であったらもうこの問題は解決できません。

今がどんなに苦しくてもその苦しみの全ては悟るためにある

苦しみの全ては悟り解明の衝動

苦しみとはなんでしょうか、苦しいという感情はどこから生まれるのでしょうか。苦しみを解決する人が現れたならばこれはノーベル賞100個分の価値があるといっていいえしょう。しかしこれまでこの問題を解決して評価された人はなかなかいません。実は釈迦、キリストはこの問題を正確に解明し答えを出しました、結果大々的に二人は評価を受けましたがやがてはその教えは形骸化しそして書き換えられ事実無根の内容になってしましました。苦しみの解明は大変ショッキング過ぎて正確に伝わっていく内容では絶対にありません。

苦しみとは何か?それはこの心身こそが自分だという勘違いから始まった

苦しみとは何か?答えは明快です、この心身を自分自身と勘違いすることからスタートします。この体、そしてこの思考、感情を自分のものと勘違いすることでこの人間ゲームはスタートするわけですがこれが誤解、錯覚、間違いなのです。結果はこの人間ゲームでは何を達成しても、何を手に入れても、何を評価されても不足感、欠乏感が湧いてくるという無限地獄に突入します。答えが永久にでないこの地獄が続くわけです。世界中から評価された俳優がドラッグ中毒になり、世界中から称賛された政治家が自殺をする、世界中から評価された科学者が鬱で苦しみ、世界中の富をえた資産家が飛び降り自殺をするという答えが見えないゲームがスタートするのです。

答えは簡単、この心身が自分ではないと見抜くこと

この心身が自分ではないと見抜いてしまえばこの不足感は湧いてきません。大いなる一つがこの心身を自分と勘違いすることでこの人間ゲームはスタートしますが同時に不足感、欠乏感が自動生成されるというおまけが付きました。この不足感、欠乏感を埋め続けるという人生ドラマがスタートするわけです。大いなる一つの代替品を探し求め続ける旅です。大いなる一つに再び戻る、洗脳が溶けるまでこの欠乏感、欠落感は続きます。

全存在は全存在ゆえにあらゆる世界を許可する

人間ゲームでは浮遊霊も念力も超能力もなんでもあり

全存在は全存在ゆえに人間ゲームにあらゆる可能性、多様性を持たせてくれます。輪廻転生、守護霊、憑依霊、念力、アカシックレコード、チャネリング、空中浮遊、、このゲームはゲームであることが簡単にバレてしまっては意味がないのであらゆる選択肢、可能性を作りゲームに熱中させるようにできているのです。例えばドラゴンクエストには裏面というのがあります、表面をクリアーしたらまさかの裏面の登場です。現実社会をクリアーしたらまさかのスピリチュアルな世界が登場するのも同じです。現実的欲求を満たし切った人間は、精神的欲求、次いで霊的欲求を満たすように設定されているのです。これは全て自我ゲームの不足感、欠乏感、孤独感を埋めるために設定されています。

思考を変えると新しい観念が生まれ新たなゲームが現れる

この人間ゲームを人間ゲームにし続けるための設定は思考を変えること、観念を変えることが重要になります。脳の認識を新しい知識で変えていくことで観念を変え見える世界を変えていきます。ドラゴンクエストの表面、裏面の切り替えを人間の観念を使って変えていきます。その人が思考するような世界が広がるように設定されているのです。こうして人間ゲームは永続的に続くように工夫されているのです。人間の観念書き換えは人間ゲーム継続の鍵です。

現実的欲求、精神的欲求、霊的欲求あらゆる欲を満たしても満足しないこの欲求は人間であるというトリックを見破らない限りクリアできない

マズローの欲求五段階説ではないですが生理的欲求、所属の欲求、社会的欲求、承認の欲求、自己実現欲求、自己超越欲求と、、欲求は延々と続くのがこの人間ゲームです。なぜならば自身を人間であるとい勘違いをしている限り不足感、欠乏感は延々と湧き出てくるからです。このトリックを見破らない限り我々はラットレースのように延々と走り続けていくことになるのです。自分自身がこの心身ではないという悟りを開かない限りこの苦しみは延々と続きます。こんなに努力を重ねてきたのに実はこの心身が自分ではなくてそう錯覚してきた全存在こそが自分だったという夢から覚める体験をしない限り人間ゲームの苦しみが続くのです。

全存在である認識が感じていない世界はない

今お茶を飲んでいる時に全認識がそれを認識する

あなたがお茶を飲む時にお茶を飲んでいるのは見かけ場人間ですがそれを認識しているのは気づきの意識、全存在、全認識です。お茶が口に入り、喉をつたって食道を通っていく途中までを意識しているのはあなたではなく気づきの存在です。いや違う、全て人間である私が認識しているというならば血液の流れも、胃の動きも、腸の動きを認識していないことは説明がつきません。人間である私を使って全認識が認識する、これがこの全存在ゲームです。

目の前にいる友人の口に入る食べ物の食感は認識できていない

では目の前で食事をしている友人の食感、歯応え、美味しさを認識しているのは誰か?それは誰でもないです。その事実はないのです。誰も認識していません。友人は美味しいと曰うかもしれませんがその事実を認識できません。あなたの食感、歯応え、美味しさを認識しているのはこのゲームを創造した全認識ですがその全存在が友人の食感、歯応え、美味しさを認識できていないわけですからその事実はないのです。ゲーム上そう見えているだけです。友人が居るというのは認識していますからその認識は事実です。ですが友人が食事を食べている歯応えは認識できないのでそれはそう見えているだけです。事実ではありません。全認識が認識していないことは存在しないのです。全存在が認識していない事実があるとしたら全存在は全存在ではなくなってしまいます。

あなたが雨を感じ、風を感じ、香りを感じているならばそれだけが事実、それ以外は何も起こっていません

全存在が認識する全てが全てです。あなたが今コーヒーを飲んでいてコーヒーの味を感じているならばその事実だけが世界中で起こっているたった一つのことです。これ以外の事実は世界中で起こっていません。例え起こっていると言ってもそれは情報であり事実ではないのです。あなたの認識は全存在の認識です。それ以外の認識が起きていないならばそれが全てです。世界の裏側で起きた事件の被害者に対し同情を示すことはできますがあなたの目の前でその事実を認識できていないならば実はそれは起きていません。あなた(全存在)が認識していないならば起きているはずがないのです。もちろんその現場に飛行機を使ってあなた(全存在)が見にいけばその事実は起きるでしょう。その時はその事実が起こるのです。

全存在しかいないこの視界以外に存在があっていいわけがない

今この現実を認識している存在こそ全存在

今、この瞬間今を認識しているのが全存在です。今この瞬間認識していないことは何もないのです。もしもあるとしたら全存在が認識しないところで何かが起きているということになります。そんなことがあっては全存在が全存在ではなくなってしまいます。よってこの現実だけが今ここで起きておりそれが全て、地球の裏側では何も起こっていないし太陽系のどこかでも何も起きていません。この目の前の現実だけがあり、そこで五感を通じた認識、経験が全て、それ以外で経験が起きていたらそれは全存在が認識していない認識があることになり全存在はそのまま全存在でなくなってしまうのです。

10年前に別れた友人は今何をしているだろう?

10年前に別れてしまった友人は今どこで何をしているのか?答えを言います、いません。視界にいない人間はこの世にいません。もちろん卒業名簿をから電話番号をかけて10年ぶりに会ったとしましょう。会う瞬間その人はこの世に出現します。その瞬間までは声だけの出現でしょう。小学校時代の友人たちは今この瞬間にいなければいないのです。もしも居たとしたら今この現実を認識している全存在が認識しています。今全存在が認識していないならばいないのです。

会社に行っている間奥さんは自分を待っていないのか?

会社に行っている間、奥さんが姿が見えないならば居ません。存在が消えています、あなたが家に帰ったその瞬間までこの世にいないのです。あなたが会社にいる間退屈に待っているたんだと言ったとしてもそれは今言っているだけであって証拠は何もないのです。全認識が認識していないことは何も起こっていないのです。それだけです。全認識は全部を認識するから全認識であって全部を認識できない全認識は全認識ではないのです。