解放

個人を消滅させるメッセージ

個人という概念を消滅させる面白さ

個人という概念、感覚を消滅させることに興味がでる、、、これって実は凄いことです、、、例えばTV番組で悟りに関する番組が全くないのは、、これに興味が起こることが非常に稀であるからです、、、悟りの本を片っ端から読みふける、、、この衝動が起きているのが凄いんです、、、自我の収縮エネルギーと悟りのメッセージは真逆のベクトル、、、収縮とは自我であり、、解放とは悟りです。。

個人が悟りを避ける理由

個人は自分が居なくなってしまう状況を想像するだけで怖くなります、、なぜならばそれは死ぬことと同じだからです、、、死ぬのが怖いようにこの個人の終焉も非常に怖いのです、、、、ですがそれこそが大勘違いで、、、体の死も、、個人に終焉も、、どちらも「在る」という感覚とは全く関係がない、、この「在る」という絶対的感覚が如実になることであり、、、むしろ「在る」が強烈になることで究極の癒しが起きるのです。

そうか「在る」を求めてたんだ、、、

生まれてこの方、、ずっと一緒にいた存在、、「在る」という意識、、、、何をしていても何を感じても、、TVを観ても、、、小説を読んでいても、、、、「在る」というこの感覚だけは絶対に失ったことがなかった、、、「意識」と表現してもいいでしょう、、、この「在る」「意識」この中であらゆることがただ起きていただけだったんです、、、この中でこの体が現れ、、思考も現れ、、感情も現れ、、、お金が現れ、、友人が現れ、、、言葉の意味が現れ、、、、この私が体の中に居るという思考が現れ、、、ていただけ、、、自分が求めていたのって、、、、この「在る」「意識」だった、、、、というか最初から全く隠れずに、、ここにあった、、、私というイメージが、、究極の幸福を求める旅にいる、、、というやはり概念、イメージが湧いていただけだった、、そして最後にたどり着いたの究極の幸福は、、、この「在る」「意識」だった、、、私だと勘違いしていた存在はこの存在だったんだ、、、

その人が抱える緊張感

緊張感=自我

自我とは収縮エネルギーです、、、全体がこの体の中にグッと押し込められた緊張状態です、、、この緊張エネルギー収縮エネルギーが強いと苦しくなります、、、分意意識全開モードです、、、緊張感が強い人は、、自我全開で生きているのです、、、無我状態で生きるとは、、収縮したエネルギーがない状態、、、この体を守らなくては、、が抜け落ちる、、、意識そのものとしてこの体の活動を見守ります。。

解放に誘う

自我という収縮エネルギーを解放に誘うには、、、、直接体の収縮エネルギーを解放してしまう方法もあります、、、収縮エネルギーを直接解放してしまうのです、、、マッサージやヨガで、、、、物理的な収縮を直接解放してしまうことで、、、そこに気が流れるようになります、、、この気とは、、、空から色を作り出すエネルギーです、、現象化のエネルギーです、、、空を直接感じやすくなります。

究極の解放が悟り

緊張エネルギーを物理的に解放していきますと、、開放への興味が湧いてくるようになります、、、解放、開放、、、、悟りとは究極の解放ですから、、、その衝動が起きるように、、、、体を物理的に解放していくのです、、、すると感情が解放されて、、、思考の湧き上がりが減り、、、無我、真我でいれる時間が多くなります。。。そして最後は時間すらもない状態、、全き意識に入ります。

自分を理解してくれる人を求めて

自分を分かってもらうために

この自分、体の中の自分は実際は居ませんから、、、自我は本能的に自分を認識してくれる人、認めてくれる人を求め続けます、、、実際には居ないのですから、、非常に苦しい、、だからこそ自分を認めてくれる存在は圧倒的に重要になります、、、自我は常に常に自分を構ってくれる人を求め続けます、、、

この人は私を分かってくれる、、、

最大の自我生存戦略は自分を徹底的に理解してくれる人の存在です、、、この人が居れば、、、自我は一生生存できる、、、だからこそ、、、その相手を大切にします、、、自我は自身の存在を認めてもらうことでホッとします、、、ところが、、、本当の自分は自我ではありませんからそれでも苦しいは解放されない、、、自我は生存できるが苦しいは解消されない、、、これが争いの火種になります。

争いが絶えない

自我は自分を認めてくれる人がどうしても必要、しかし自我を自分だと勘違いしたままでは苦しいが終わらない、、、このジレンマに苦しみ続けます、、、だからこそ悟りが重要になります、、自分はこの体の中ではなく全体、大我であるという再認識が起きない限り、、この苦しみは終わらない、、、この苦しいを相手のせいにして相手を責め立てたりまします。だから争いが終わらない、、、

感情を感じないように思考が湧き出す

感情を感じたくない

体にはあらゆる感情が隠されています、、これはその時に感じないように体に一旦ため込んだ感情です、、この感情が湧いてきた時に、、、思考でこれを感じないようにする動きが起こります、、、思考がフル回転してこの感情に蓋をするのです、、この動きが活発ですと、、思考に飲み込まれます、、思考していることすら忘れます、、まさに無我が自我に取り込まれた状態になります、、、無我が消滅します、、、

積極的に体の感情を溶かす

このスパイラルを打破するためには、、体に溜まった感情エネルギーを積極的に解消します、、東洋医学ではどこにどのような感情が溜まるかを明記しています、、、各経絡とはその流れです、、体中をマッサージしたり、太極拳、ヨガ、、などをして体を緩めていきますと、、この感情が解放されていきます。すると感情を隠すための思考の動きが止まります。

思考の動きが止まれば、、、

思考の動きを止めることができればそこから思考に取り込まれるというパターンを壊すことができます、、思考に取り込まれずに、、思考を観察する存在を作れます、、一日中瞑想状態に入れます、、一日中無我でいれます、、思考はそれでも湧きますが、、それは感情を隠すためではなく、、明晰さ(無我)の中で機能的に湧くだけです、、、感情を隠すための湧き上がりではありません、、ここは最重要ポイントになります。

集団意識とエゴ

集団意識とは?

集団意識、、これは人類の歴史からくる、、記憶の集積場、、あらゆる人が経験した記憶が集まる場所です、、ここに脳がアクセスしますと、、その記憶の影響を受けます、、、例えば日本人独自の恐怖心、、この影響を受けるのです、、、なぜ会社を辞めて好きなことをできないか?集団意識からくる恐怖心の影響を受けます、、、ここを乗り越えるには集団意識のカルマを超越する感覚が必要になります。

本当の自由とは

本当の自由とは、、集団意識を超越する必要があります、、、毎日会社に行って真面目に働かなくては、、、この集団意識の影響を脱出するにはそれを超える感覚を所有する必要があります、、今にいる時、、恐怖心を超越できます、、思考を観察する存在として居れる時に集団意識の影響から脱出できます。朝起きて寝るまでを瞑想状態で過ごせる時に集団意識の影響を遮断できます。

自由が私を再発見する

本当の自由とは偽りの自己が実は居ないという再認識です、いつも瞑想状態にあり、、偽りの自己に支配されなくなると、、、自由が私を解放してくれます、、、本当の自由とは自分そのものであり我々は自由であり明晰であり静寂です、、、、これが我々の本性です、、これを思い出すには思考に支配されない生活を取り戻すしかありません。

苦しみの本当の意味

苦しいとは。。勘違いの証明

生きるって苦しい、、なぜか苦しい、、テレビやお喋り、何かに頼っていないと退屈で死にたくなる、、、、これらの本当の意味は何でしょうか????真実の勘違いです、、、真実を誤解して生きている時に生じる感情、それが苦しみです。ですからこの苦しみこそが悟りへの誘いです、苦しみが悟りへの渇望になります。。何をしても何を得ても癒えないこの苦しみこそが真実に目覚めるきっかけになるのです。

そう思えば、、、

苦しいが悟りへの誘いになります、、そう考えると、、この苦しみは悟りにとって最重要事項、森羅万象の動きは完璧です、、、この苦しみ解消を、、名誉や、お金、異性、やりがいで解消しようとしても全く癒えない、、、この究極のお題解決こそが悟りです。悟りとは究極の現実に目覚めること、究極の真実、リアルに目覚めることです。

何も求めなくていいという解放感

何も求めなくていい、、、そうです、、、究極のメッセージが教えてくれることは革命的です、、川の流れのように我々がこの先に取る行動は全部決まっていない、、全て森羅万象の動き、、運任せ風任せ、、森羅万象任せ、、この状態で何を期待し何を失望するのか?という話です。この事実に向き合った時に根本的な脱力に襲われます、、人生に責任を取るという大きなプレッシャーから解放されます。

思考無しに目的達成などあり得るか???

計画は最重要

大きなプロジェクトにおいて計画は確かに大切でしょう、、ですがそれと思考に取り込まれていいというのは全く別の話です、、、思考自体がダメなのではありません、、、思考していることに気づかないほどに、、、思考に取り込まれている状態が苦しい状態なのです。。。思考に取り込まれた状態とは思考していることに気付いていない状態です。

今私は思考している

今私は思考している、、、そのような気づきを持っている人はどれ程いるでしょうか??多くの場合は思考していること自体に気づいてもいないでしょう、、、癖というのはその動きにすら気づいていないことを言います、、思考癖も同じで思考していることに気づいてもいません、、ですから思考に取り込まれないことを意識するだけで思考癖は解消できるのです。

癖とは自覚するだけでいい

あなたは実は一日中思考していますよ、、、この気づきで、、思考癖は緩和されます、、思考とは突然起こり、、思考に取り込まれ思考していることにすら気づかない、、、この事実に気づくだけで、、、人は思考から解放されます、、というよりも自我が解放されます、、、思考する自分という存在が解放されます、、、気づきの意識が残ります、、、、存在が残ります、、、アイアムが残ります、、、

何かを達成した時に訪れる静寂を今感じる

ホッとした、、、

金メダルを取れて今どんな気持ちですか????とってもホッとしてます、、しばらくはゆっくり休みたいです、、、あらゆるプレッシャーから解放されて今はとにかくホッとした気持ちです、、、ヒーローインタビューでこんな会話を聞いたことがある人が多いでしょう、、、、ホッとする、、、これって何が起きているかといえば、、、もうしばらくは何も考えなくていい、、、というホッとしたです、、

最初から考えなくていい

思考することに無防備になっている我々現代人にとって思考しなくていい状況とは、、何かを達成した時だけ、、、この時だけです、、、だから金メダル取得、就職決定、内定決定、卒論合格、、、こんな時しかホッとするのが許されないのです。。。本当にそうでしょうか、、最初から思考しなければいいんじゃないですか???いや思考しなくては目的は達成できませんから、、、違います、、、目的が達成できるかどうかは川の流れ、森羅万象の動き次第、、思考とは全く関係がありません。

つまり我々は最初からホッとしていていい

結果が出るでないが森羅万象の動きならば、、思考は必要ない、、思考に取り込まれる必要もない、、思考を観察する存在のままでいい、、、気づきの意識のままでいい、、、になっていきます、、すると静寂そのもの、、平和そのもの、、歓喜そのもの、、になっていきます、、。その状態でただ淡々と結果だけが起き続けるのです、、これが降参、サレンダー、悟りです。

自分を極める

他の誰かを目指さない

思考はあらゆることを言ってきます、、あの仕事に就けたあいつが羨ましい、あの顔に生まれたあいつが羨ましい、あの身長に生まれたあいつが羨ましい、、、と、、、こうして他人を羨むという思考がエンドレスに流れてきます、、、ですが本当は自分を極めるのが最も最速最短で幸福になれます、、、、自分を極める????自分はこれ以上の自分にはなれなかいから困っているんだけど。。。もっと能力を高めるってこと??違います、、自分の存在を知るだけです。

自分の存在ならば嫌なほど知っている

自分の存在なんて嫌になる程知っていますが、、、、違います、、、その自分はこの体の中に居ることになっている自分ですよね、、、違うんです、、これは偽りの自分です、、、、実態のない自分のことです、、、私が今話している自分とは、、、私が居るというこの紛れもない感覚の自分のことです、、、はっきりと今意識がありますね、、、これぞ自分でしょう、、、これはもう絶対に間違いない存在です、、、、この絶対に存在する存在、、、この存在はどこに居るのでしょう???体の中ですか、、違います、、その証拠はないでしょう、、、この全体の存在は、、いまここ全部に居るのです。

思考が渦巻いている時、、、

思考が渦巻いている時、、、この絶対なる存在の意識が、、、思考の中に閉じ込められます、、思考のオンパレードに絶対なる存在の意識の焦点が注がれ続けます。絶対なる存在が絶対なる存在ではなく思考に取り込まれ続けます、、、これが苦しいを湧き出します。ただこれだけです、、、思考に取り込まれることが無くなると、、、絶対なる存在は絶対なる存在として起きる全てを観察します、、これが静寂です、苦しみからの解放です。

自分がやっていると思い込む大人

緊張感

自分がやっている、、と思い込む大人には緊張感があります、、自由意志をフルに発揮している、、と思い込む大人には緊張感が走っています、、、一生懸命余裕をぶっこいているようにも見えますが、、ただそう見えるだけ、、なぜならば結果は自由意志とは全く関係なく、、起こるからです、、しかも自由意志も実はない、、地獄、、本当はこの自分は何も分かっていない、、因果関係など、、

ただ揺れ動く現象

ただ揺れ動く現象をコントロールできる存在など誰もいません、、この個人はこの現象に一因を与えるのみでしょう、、しかもその一因すら、、自由意志ではできない、、、にも関わらず個人はこの現象をコントロールしているという誤解を持つ場合が起こります、、、大人です、、、苦しい、、緊張感、、、知られたくない、、、

子供はこれに気づく

子供はこれに気づきます、、、この大人は何を緊張しているのか?と、、、何に怯えているのか???と、、、全部をコントロールしているかのように振る舞う大人の奥に凄まじい緊張感を感じるのです。覚者は全部が全部なすがまま、あるがままに気づきた人です、、この自分すらいない、、ただ現象そのものがる、それだけ、、だがそこには静寂があり、、至福、、全部の責任から解放される、、