自由意志

将来設計

保険

将来設計について考えるって大切ですよね!!!あんなトラブルこんなトラブル、、、本当に色々考えるべきことってあります。悟りの観点からいうとどうなんですか????何を準備してもどう準備しても、、それが勝手に起こっています。絶対に老後のために2000万円貯めたい!そうあなたが思うならば、、それが勝手に起こったんです。何も準備はいらない、、全部神まかせでいきます、、そう思ったならばそれが起こったんです。高級老人ホームに必ず入る、、そう思ったならばそれが起こったんです。

正解がない

何が正解んですか???何も正解がありません。その人に起こった思考感情行動が正解です。何も準備せず野垂れ死ぬならばそれが正解です。大切なことは何が起こっても、、それがその人の正解であるとに気づくこと、、これが大正解です、これが悟りです。もっとこうしとけばああしとけば、、、この認識が非悟り、非解放、非目覚めです。

後悔

つまり後悔=非悟り、非解放、非目覚めなんです。後悔するとは全くこの世界のメカニズムに気づいていないということです。私は後悔だけはしなくないから、、こういう準備をするんだ!!!残念、、その発想こそが非悟り、非目覚め、非解放です。全ては完全完璧に決まっていて、、そうなるようにしかならないのです。だから後悔って不可能なんです、、後悔するって自由意志を肯定することですが残念ながらそれがないんです。

1日瞑想

全現象

真実が理解できますと、、、一日中が瞑想になります。なぜか????この体から湧く思考感情行動が完全に根源から湧いてくるのが理解できるからです。何一つ自分なんかが作っておらず勝手に湧いてくるこの思考感情行動を観察します。「苛つき、怒り、奢り」こんな人間臭い感情すらも瞑想の対象になるんですか????なるんです、、むしろ思いっきり対象になります。ハッキリした感情は完全な瞑想の対象です。

会話の全て

とはいえ会話中は自分をやってますよね????そうです、、自分をやっているその様子が完全に瞑想になります。勝手に出てくるこの言葉は完全完璧に全体、根源から湧いていますよ。。。。思いっきりエゴイスティックな発言が湧いてもそれこそが根源全体から湧いています。。一つ一つの発言を考えて考えて発していますか????とんでもない、、勝手に全部湧いているんです。

明日湧く思考を予想できますか????

もしも「私」が思考をコントロールできるならば明日に湧く思考を全部今決めちゃってください。午前中の思考、午後の思考、夜の思考、、、、全く不可能です、、、全くもってコントロール不能です。。そんなことは全員が知っています、、全員が明日の思考を全く決められないのです。。。これでも自由意志があるのでしょうか???ないのです。自由意志がないのならば、、誰が決めている????誰も決めていません。。。

悟り

悟りとは、、この真実に気づくことです。全くもって自由意志なく、、全現象全思考全感情全行動が勝手に起こっていることに気づくことです。究極の諦めです。その現れを観察します、、じっくりと観察します。本当に勝手に全部が起こっていることに気づきます。これが1日瞑想です。どんな発言がここから出ようとどんな思考がここから出ようと、、、全部勝手に起こっていることに気づきます。これが悟りです。

引き寄せの法則

誰が引き寄せる???

私とは自我ですがこの自我が幻、オーロラ、蜃気楼、、です。これらが何かを引き寄せれるような実在ではありません。もしも引き寄せれたとしてもその中心には幻、幻影、オーロラがあるだけです。だからその現象が生じたとて自我『私』が幸福になるって不可能なんです。。幸福になれる私はオーロラのように実在しないからです。仮に私という幻影、オーロラの周囲に金品財宝が集まったとてそう見えるだけでそれを実感できる私が存在しないのです。

私というオーロラ

私というオーロラの周囲に金品財宝が集まったぞ!!!!その認識、実感はこの私から生じるのではなく、、このスペース、海、全体から起こります。私というオーロラの周囲には沢山の金品財宝がある、、、この認識がただ起こります。その瞬間、「私」が何かを達成しなければならないというストーリーが終わり、、真の穏やかさ、真の平和が一時訪れるのです。一瞬のストーリー終焉です。ですが次の日にはまた「私」が現れ、、その瞬間「違和感」が起こることで、、、これをどうやって解消しようか???が起こります。次なるストーリーの始まりです。

無理

この体というオーロラが実在し、、このオーロラの中には思考、感情、行動を司どる「私」というオーロラが実在する、、この勘違いは、、、永続の至福を作ることは不可能です。なぜならば私というオーロラはにはそもそも自由意志も自由行動も司る力がないからです。だから矛盾を秘めすぎているのです。私というオーリラが幸福になるというイメージはいつでも起こすことができます、、ですがそれはイメージであり真実ではないのです。

不幸にもなれない

私というオーロラが不幸になるというイメージは作ることはできます。ですが実際にイメージが不幸になることはできません。つまりオーロラは幸福にも不幸にもなれないのです。。。このことに気づきますと、私というオーロラに対する関心が減ります。そこではなく真実、何が今起きているかに興味がでます。全体、ホールに対する理解が進みます。するとホールはヒールであり、、真の癒しになるのです。

動き

この世界の分かりやすい比喩として海に起こる渦があります。。人間とはこの渦です、、確実にあるように見えます、、、ですが起こっているのは水の動きです。。。これが人間、そしてその中にできる自我です。どう考えてもあるように見えます、、ですが近寄って救い上げようとすると「ない」のです。

このいつも登場する渦

このいつもいつも目の前に登場する渦(体)を私と呼ぶことにしました。そしてこの渦の中には「私」という自由意志を行使する存在が居る、そのような渦がある、、と信じる思考が起こったのです。だからこの体という渦が現れると、、同時に、、この私も登場します。これが催眠です。この体という渦の認識と同時に「私」という渦が現れるのです、しかもこの渦は想像上です。

この二つの渦

この二つの渦の動きを俯瞰してみれば、、この体という渦、、相手の渦、そして相手から生まれる自我という渦、、と二つの渦が同時進行で様々な形で登場します。これが人間社会です。。。渦の上に渦が乗った状態がたくさん存在するのです。。ただこれだけです。そしてこの渦同士が様々な活動を続けます、、渦の二重構造同士が近づき離れを繰り返しています。

この様子

この様子を俯瞰して俯瞰して眺めるようになると、、全渦の活動が面白い、、担しい、、愛おしい、となります。渦を自分だと信じる渦が起こり、、様々な活動をしている様子は面白いのです。。この視点に立った時、、全てが問題ではなくなります。そこに深刻さはないのです、、なぜならば、、その深刻さは、、渦の上にできた渦によって作らされてきただけだからです。

決め事

できない

今年一年間はこれをやり続けよう、、、、今月は絶対にこれをやり切る、、毎朝必ずこれをやる習慣をつけよう、、。。。真実に目覚めますと、、これ辞めたほうが良いことがわかります。なぜか????思考は毎日毎日勝手に湧いてくることが分かるからです。しかも自分など存在せずに。自分など一切存在せず、、勝手に湧いてくるのが思考です。だから自分はこのルーティンを守ろう!!!って構造的に不可能なんです。

それでもできる人はいますよ

居るんですが、、それはたまたまそれが起こっているんです。現象としてそのようなことが起こっているんです。それを見て私も必ずそれをやるんだ!!!は違うんです。その私が居ないし自由意志はないし、、です。だから騙されないでください、、ルーティンマスターを見て、、私も!!!は根本的に不可能なんです。それ不幸への入り口です。

スローガン

だから何かを習慣化したい時は、、できたらいいよね!!ぐらいのノリに抑えましょう。HAVE TO 禁止です。楽しいスローガンだったら何個あっても良いのです。イチロー選手みたいにルーティンの鬼に!!ではないんです、、たまたま続くルーティンがそれだったのノリです。そしてルーティンが続くから偉い、という発想も捨ててOK…なぜならば、、それをコントロールできる自我などないからです。

焦り

焦りとは????

焦りというのはそこに自由意志があって、、自由意志の使い方によってはとんでもない成果を得れると勘違いしている思考から生まれます。ですがこれ嘘です。自由意志はないし、それを使える個人も嘘です。ありません、そのようなものは。。すると焦りが消えます、、だって焦ろうと焦らまいが、、、結果は神任せだからです。いやいや焦るのだって自由意志ですよね???違います、自由意志があるいう思考が勝手に湧いたから焦るが湧いたのです。

じゃあ

我々は全く頑張らなくていいんですね??????残念、、それを決める自分が居ないんです、頑張るか頑張らないかをそもそも決めることができないのです。だからそれすらも神任せです。頑張るが湧くかもしれないし湧かないかもしれない。。。となります。そんな勝手に決まった人生って何か意味があるんですか????人生がないんです、、自分が居ないのですから。。。ただの現象です。そしてそのことが分かるととんでもない安堵が湧いてきます、平和が湧いてきます、愛が湧いてきます。

全部嘘だった

これまでの教育って全部嘘だったんです。努力、自己責任、反省、目標達成、後悔、自己義務、、、全部嘘です。だって自分すら居なく、、、自由意志もないって、、、全部上記の行為は無駄ですよ!!!!そうです、無駄なんです、、、ノンデュアリティ のメッセージが世界から全く相手にされないのはそうだからです。これまでの努力を全て無駄にします。。。ですがその瞬間にとんでもない安堵が生まれます。

気づいてみれば

自作自演

気づいてみれば、、、この世界の苦労って完全に自作自演だったんです。両親から勿論あらゆるプレッシャーをかけられ学校でもプレッシャーをかけられTVを観ればプレッシャーはかけられますが、、その全てはこの現象であって完全自動システムによって起こっていました。その起こった現象に対しこの体は完全自動反応を起こしこの「自分」を起こし、、反応し続けたのです。その中に独立した「自我」を持った存在は皆無であり、、誰も加害者ではなく被害者でもないというオチです。

苦悩

世の中には恨むべき人がいて、、あの時の悪友、あの時の先生、あの時の上司、、、と列に並んでいきますが、、この中の一人たりとも「自我」が存在しないのです。独立した自我はこの世界には存在できず、ゆえに全ては自動反応で現象化し続けただけです。それが分かったときに本当の意味での赦しが起こるのです。加害者も被害者も居ないという真の許し赦しが起こります。

分かっていた

周囲は反応を起こしているだけだ、、、これはなんとなく分かっていたことでした。そこには自由意志という崇高なものなどなく、、ただの反応だけではないか????これは誰しも気づいています。だから週刊誌やTV番組は最初から売上部数、視聴率を読めるのです、つまりこれはただの反応なのです。つまりこちらから起こる自動反応に外部は当たり前の自動反応を起こし、それにこの体が自動反応を起こす、これを毎分やってきたのです。

解放

今目の前が解放

実は実は今目の前に解放が起こっています。今目の前に現象が起こりそれに気づくが起こります。これ空即是色です、、そしてその現象が変わりますよね、、、、色即是空が起こり空即是色がエンドレスに起こるのです。これを解放と呼びます。そこに自分という存在のコントロールなど起こっていません、全く何もなくただ現象が現れては消えていくのです。これを解放と呼びます。実は実は我々は解放以外の状況など起こったことがないのです。

自我

自我とは自由意志でもってこの体を外部環境から守っている、、、とされている存在です。ですが実態を暴けばこの自我の行動の全てはただの色(現象)です。。。自我も実は色(現象)でしかなく、、、、コントロールしているように「見える」だけです。だから自我があろうとなかろうと解放が汚されることなど全くないのです。だから見かけ上の覚者は「なにも問題は起こらないしこれからも起きない」と断言します。

あってもなくても

そこが分かってしまうと、、自我の有無、エゴの生む、ペインボディの有無ですら、、、どうでもいい。。。となります。だってそれも現象(色)ならば解放、開放において何も問題ではないからです。視点を空に置いた時、、ただただ現象は現れては消えていきます。この真実に触れ続けますと、、自我の動きが薄くなるという現象(色)が起こるのです。ストーリーが薄くなるという現象(色)が起こるのです。自我とは空の視点の欠如からしか起きえないからです。

昨日何してたの????

こういう夢を見てました

昨日は、、恵比寿にいて、買い物をして、、その後友人とランチして、夜はカラオケではっちゃけました。そういう夢を見ていました。。。こう説明します。本当の説明は、、恵比寿と呼ばれる現象が起こり、あらゆるお店が立ち上がり、、この体がその中で何かを買うが起こり、、友人と呼ばれる体が登場し、、そこで会話が起こり、ランチが起こり、、、となります。この体を含む全現象が立ち上がったというのが正解です。ですが多くの方は、この体がそこに「行き」「行為」を行いが正解と信じています。

夢全体が私

昨日見た夢の中で「私」だけが夢で、、背景は、、真実ってないですよね?????全部が夢です。これはこの現実も全く同じで、、、、恵比寿という現象、お店という現象、、その中のこの体、、この体の行為、、友人の現れ、、会話、、、全部が現象という夢なんです、、、この中で「私」という自由意思全開の存在が居るという思い込みが起こり、、、第二の夢が起こります。

現象も夢、その中に自由意志全開の「私」が居るというもっと夢

この現象も幻想ですから夢みたいなものです、、ですがその中でこの体が登場しその体の中には「自由意思全開の私」が実在するという更なる夢が起こります。私はこの現実社会を「自由意志」使って生き抜かなくてはならないという更なる夢が起こります。全部間違っています、、、この世界は幻想でありよってこの体も幻想であり、、ゆえにこの体の中の「私」も現れては消えていく幻想です。

緊張感

個人

緊張感とは「この体の中に全自由意志を行使する自分という存在」を信じるときに起こります。この存在実はこの物理空間には存在できません、、情報空間、夢空間にしか存在できないんです。この存在が「自由意志を行使してこの体を守る」と信じるのは自由ですが、、、自由意志を行使できる存在はこの世界には存続できません。なぜならばこの世界は現れて消えていく現象、幻想、幻の世界だからです。

ただ起こる

ただ起こるんです、、行動も思考も、感情も、、全て、、、だからこの世界は「変化」だけが全てです。それ以外は全部幻想、幻です。この変化の世界で自由意志を行使しできるコントロール戦士は居ないんです。居ないのですがこれを信じるという動きは起こせます。これがただ緊張を生んでいます。これがただ不幸を生んでいます。ここを見抜きます。

夢を信じてもいい

この自分が体の中に居るという夢を信じてもいいんです、、ですがその信じるは緊張感と苦しみを生み続けます。これを何度も落とし込みます、、信じるは起こっていいし、勝手に起こります。ですが信じている間は苦しみ緊張が起こり続けます。この事実を認識していきます。そして夢を捨てれる「個人」は存在しません。ただこの事実に触れるのです、、そして夢から覚めるのを待つのです、、待つのは自分ではないですよ。