二つの自己
この世界には二つの自己が存在します。それはスクリーンの私と、、主人公の私です。スクリーンの私は真我の私です。そして主人公の私はこの体の私ですね。この二人が存在します。HUMAN BEINGという言葉があるように、、、人類はそのことを実は知っています。HUMANは人間の体、BEINGはスクリーンのことです。では、、、この二つの自己、、ですが、、、そのことにあなたは本当に気づいているのでしょうか???
今は?????
今この瞬間、、、あなたはどちらの自己ですか????人間の方ですか???それともスクリーンの方ですか???どちらをあなたはやっていますか???????返答に苦しみますよね???そうです、、、ここを誰も分かっていないのです。スクリーンもやっているはずだし、体もやっているし、、二つの自己を同時にやってる?????となります。。。。では答えを言いましょう。。。二つの自己はリアルには存在できません。真実の自己は真我以外にはあり得ないのです。体の方の私すなわち自我は、、実在のレベルでは存在しません。
この二つ
スクリーン、真我の自己は実在です。唯一の実在です。ですがこの体の自己(私)は、、、、現れては消える蜃気楼、幻想です。事実眠りの状態では私は気づかれることができません。この体も気づかれることができません。つまりこの体の私は目覚めの状態において気づかれてもらうことができる「私」なのです。この体の私が「私」を実感できるならば眠りの状態でも「私」は「私」に気づくんです。ですがそれは起こりません。つまり蜃気楼と同じで気づいてもらってなんぼの「私」がこの体の私です。
つまり
つまりこの体の私とは、、雲のように気づかれて初めて存在を維持できます。眠りに入ればこの「私」は隠れてしまうため、、存在していない状態になります。ですが実際には消滅していないのですから、、存在自体が存在に気づくのであれば、、感覚が消えてはいけないのです。ところが事実では眠りの状態では私の感覚は確実に消えます。つまりこの体の私は、、、体の消滅と同時に、、存在が隠れ、、気づいてもらえない状況になるということです。
目覚め
目覚めの状態の時、、、間違いなく自我が現れ、、この体を同一視することで、、、「私」という観念が生まれます。この観念がスクリーンである真我によって気づかれるのです。主人公の私の誕生です。そして主人公の私は眠りに入る時、、この世界を地引網のように引き上げ、、、世界を収集するのです。世界が撤収され、、、自らは隠れてしまうから、、、スクリーンである真我に「気づかれない」のです。この話をファンタジーお伽話と思うのであれば是非確認してみてください。