眠りの状態と自我

三つの状態

目覚め、夢見、眠りの状態があります。目覚め、夢見の状態では確実に自我が存在します。そして自我から心が動き出し世界が現れます。その世界が心に飲み込まれ、心が私に飲み込まれ、眠りの状態に入ります。ではその時自我はどうしているのでしょうか???自我は自我を生み出すvasanaの中に飲み込まれます。だから眠りから覚めた時、、眠りの記憶が存在しないのです。これを繰り返します。真我という存在に無知な時、、、ただ目覚め、夢見、眠りの3つの状態が無意識に連鎖するのです。

眠り

本来であれば、眠りの状態は至福なわけです。私が居ないのですから苦しみを生み出す思考もまた不在です。私の不在は至福です。にも関わらずこの至福に無知な理由は皮肉にも私が存在しないからです。だから目覚めて自我が立ち現れ、、、また苦しみが始まります。夢の中でも苦しみ、、眠り(至福)の記憶がないままにまた目覚めるのです。だから人生とは間違いなく「苦」です。問答無用で「苦」です。真我に無自覚な「眠り」は快楽同様に一瞬の花火です。

トゥリーヤ

ジニャーナヨーガでは、、眠り、目覚め、夢見の状態を超えた状態をトゥリーヤと呼びます。その全てに気づく状態です。真我が最初にあって、、その真我の上でこの三つの状態が続くのです。これに自覚的になった状態、意識的になった状態がトゥリーヤです。第四の状態と呼びます。無自覚に三つの状態が起こっていた時期が最初にあって、、それが真我の中で繰り広げられていることに気づいた状態です。

だがしかし

vasanaが残っている以上、、自我は眠りと共にvasanaに雲隠れし、、、生存します。トゥリーヤの状態は眠りに自覚的であるのですから、、自我がvasanaに雲隠れしていてはいけないのです。自我がvasanaではなく真我の元に戻るのが真のトゥリーヤです。「私ー私」、「IーI」の状態、、です。この状態が安定した時、、目覚めの状態においても真我の中で世界が現れでることに気づきます。眠りの中で目覚める状態に入ります。今までの目覚めではありません。