無欲=叡智

ラマナ

ラマナ・マハルシは無欲=叡智と表現しました。叡智がここにある時、、、無欲になります。なぜ????なぜならば、、、叡智=真我であり、、、真我とは何か???が明確に分かっているからです。真我とは何か???真我とは全てです。私は全てだ、、という自覚が起こった時、、、、何かを求めるという衝動はどうしたら生まれるでしょうか????真我実現=無欲です。目の前に金品財宝が置かれているとしましょう、、心を惹きつける金品財宝です、、、、それに気づく気づきは紛れもなく実在であり、、、金品財宝は、、その実在の影です。永久不変の実在が存在するからこそ、、金品財宝が今ここに現れることができるのです。

不変

金品財宝が現れる前は存在しなかったわけです。それがここに現れることができるのは不変、永久不変の真我がここにまさに在るからこそ成り立つのです。ならばその金品財宝は、、、幻想であることが分かります。永久不変の実在に対して現れて消える金品財宝は「幻想」です。だから、、、、無欲になります。永久不変の実在の前に金品財宝は幻想に成り下がっていくのです。

絶対不変

絶対不変の実在が最初にあって、、その前を、、、幻想が移り変わって行きます。その幻想は、、真我の影であり、、、真我が無限だからこそ、、、影は無限の表現を続けます。この表現の一部を実在と思う、、という動きが起こり、、、、その瞬間、、、緊張感が生まれます。移り変わる幻夢が、、、実在に変わる瞬間です。ですが幻夢は幻夢であって実在ではありません。影は影であって影以外の実在ではないのです。