役に立ちたい

人様の役に立ちたい

真実に目覚めていきますと、、全部が自分だという感覚が芽生えてきます。すると役に立ちたいという衝動も目覚めてきます。自分はよそ様の役に立ちたい、、、そんな自分でいたい、、、、という衝動です。ですがその他人は全て真我の影であり、、、実在はしません。救ってあげないといけない他人は実在しないのです。救ってあげたい人物を作り上げているのは「思考」であって思考を抜いたら真我の影が残ります。真我の影は、、唯一無二の実在の影「真の至福」の影であってつまり至福です。救ってあげなくてはならない至福など存在しません。

だから

深刻にならないでください。世界中には今日も食べることさえできない哀れな人々が居て、、、、いやいや思考を外したらそれ真我の影です。真我は至福ですから至福の影も至福です。そして実在はしません。影が「哀れな人物」に写っているだけです。救うべき私も影です。救う私と救われる哀れな人々を分離させる実在が存在しないのです。救う神と救われる神の境目が存在しません。影のお遊びです。だから深刻にならないでください。救う私も救われる人々も幻想以外では存在しません。それは実在しないのです。

全てが影と分かって、、、

全てが至福の影だと分かって、、、お遊びとして救う遊びをするのはOKです。それが事実です。救わないと死んでしまう実在は存在しないのです。その実在を注意深く観察すれば至福の影です。影でありかつ至福です。どうして救わないといけないのでしょうか????そしてこの体も至福の影です。何としても世界を救わなくては!!!!という思考も至福の影です。俺の力じゃダメか、、、、、という落胆も至福の影、真我の影です。

どうですか?????

何となくしっくり来ますか????何となく分かってきました????どこを探しても至福の影しか存在しないのです。至福と至福の影しか存在しないのです。だから何も深刻にならなくて大丈夫です。どんなに深刻に考えてもいいですよ、、、でもそれも至福の影です。我々は至福と至福の影の外には出ることができません。なぜならば我々自体が至福であり至福の影だからです。気づく我々は至福であり気づかれる我々は至福の影です。