他人

存在しない

他人という概念が存在しない時、「他人」は存在できません。友人という概念が存在しない時、友人は存在できません。他人を作り出すのは「他人」という実在ではなく他人という概念です。つまり我々は他人という実在に囲まれているのではなく他人という概念に囲まれているに過ぎないのです。他人という実在は存在しません。ここで飛び出す幻想に「他人」という概念を当て込んで生きているのです。当然「私」という実在も存在しません。「私」という概念が浮かび上がった時「私」という幻想が生まれるのです。

ノーコントロール

そしてもっともっと突っ込んで説明すれば「他人」という概念、「私」という概念がどう飛び出てくるか「コントロール」できません。不可能です。つまり他人という概念、私という概念、テーブルという概念、友人という概念がなぜかここに飛び出てきて、、その幻想が起こっているだけです。小さい子供を見ていれば分かりますが、、、浮かびがってくる言葉の概念を楽しんでいます。大人はそれを実在と盲信することで言葉が生み出す「盲信の世界」に閉じ込められています。真実ではただ浮かび上がってくる概念を実在と信じ生きているに過ぎません。

いつの日か

自我が芽生え、、現れでる概念を実在と信じ、、その中で生きていました。ですがある日この真実に目覚めます。本当は全て幻想であり、、、浮かび上がる概念を実在と信じているに過ぎなかったのです。ではこの幻想の正体は何か????という話ですが、、それは、、、この全てに気づく「気づき」である真我の影です。全ては真我の影です。真我の影の中に「概念」と呼ばれる影が起こった時のみ、、概念が生み出す幻想が起こります。ですから他人など存在しません。他人も、友人も、私も、、全て、、、全て真我の影です。影というのが正体です。そして影には実在の境目がないように、、、全ては全く同じ影でできています。だから我々は一度も生まれてきてもないし死にもしないのです。それは影がそのように見えるだけに過ぎません。