目標
自我は悟りすらも目標にして生き延びようとします。「あの人は悟っている」だから私もいつか悟りたい、、、これ自我の延命措置です。「悟り」を個人の目標にしています。かなりの詐欺的行為です。ITが進化したら流通問屋が要らなくなるんです、、という意見を流通問屋に話せば、、「私がITを駆使して流通を円滑にしますね!!!」と答えるギャグのようなものです。ITが発展すると「流通問屋」が不要になるという内容です。流通問屋が頑張る話ではないのです。ですが自我は悟りすらも叶えあるのは「自分」だ、、と曰うのです。真実では自我は存在しないという意味です。
私は悟っているがあの人は悟っていない
悟りとは、、、「個人が完全に幻想だった」という気づ気です。個人は幻想なのですから、、個人を感じることはできるが「実在」しないという意味です。蜃気楼は存在するが、、実在はしない、、、これと全く同じです。実在しているように見えるが、、、実在しない、、、これが蜃気楼です。存在しているように感じるが、、存在しない、、、これが自我です。存在しないのに存在しているように感じれるから「蜃気楼」「幻想」というのです。
だから
だから自我は悟れません。自我は幻想と見抜かれて終わりです。現れたところで幻想が現れた、、で終わりです。幻想は悟ことができません。悟れるのは「実在」だけです。そして実在は、、、最初から唯一無二であり、、変化自体ができませんから、、実在が悟ることもないのです。ですから悟りとは「自我」が幻想と見抜かれることです。「自我」が幻想だとしたらですよ、、、今のこの現実は誰がみとんじゃ????って話ですよね。誰も見ていないのです。ただこの現実と呼ばれる視界があって、、それが真我によって気づかれたのです。