悟りという出来事

期待

多くの方が期待するのは悟りという出来事です。悟りも当然出来事だろ????という期待があります。お酒を飲んで気持ちの良い状態があるのだから、、同じように悟りも気持ちの良い状態なのだろう、、、、という期待を最初にもち、、、それを目指すのです。そして今回も違った、今回もそこまでじゃなかったと、、、、経験としての悟りを探し求めるのです。ですが悟りとは残念ながら、、出来事でも経験でもないのです。出来事も経験も、、、、現れるまでは存在しないのですから、、、つまりそれは幻想なのです。

幻想を求めて

お酒を飲んだ状態の100倍気持ちの良い状態があるのではないか、、、、という期待が悟りだったわけです。ですが現れる気持ち良さは必ず消えます。なぜならば幻想以外にそれは存在しないのですから。そんな消えてしまう悟りを追い求めても悲しいだけです。そうではないのです。経験、出来事には悟りは絶対に絶対に存在しないのだ、、、という気づきが重要になります。経験としての悟り、出来事としての悟りを諦めた時、、、真の悟りが見えてきます。

真の悟り

真の悟りとは、、、今ここで既に確実に「在る」存在でなくてなりません。かつてはなかった「存在」は現れてはいけないのです。だから悟りは今ここで完結しなくてはならないのです。新しい登場人物、登場存在であってはいけないのです。それは何か????ということです。真我とは全ての現象に気づく「気づき」であり我々は「それ」なのです。そのことに気づいた時、、、全現象、全出来事、全思考、全感情、全五感が私の子供になります。これが真の悟りです。