母親とボールペン

同価値

悟りを開くと「母親とボールペン」が同価値であることに気づきます。え???????なんで?????意味不明ですよね。ですが意味不明じゃないんです。だって全てが幻想でその全てが自分ですから。。。母親とボールペンをどうやって区別するのですか???どうしたら差別が可能なのでしょうか????胃と腸をあなたは差別しますか????胃の方が俺にとっては腸よりも大切、、、、という価値観ってあり得ます????不可能ですよね。。。赤血球よりも白血球の方が大切????あり得ない。。。

つまり

真実に目覚めた瞬間、、この子供よりもあの子供の方が大切、、、、という感覚が消えます。それって寂しいこと????いやいや、、、全く違います。全てが自分の子供と感じれるってなんて豊かなんでしょうか。。。。。そうです、、圧倒的に豊かなんです。自分の子供だけが可愛い、、、から全子供が可愛い、、、、になるって凄くないですか????事実ではそうなんです。あとはそれを実感するかしないかです。「母親とボールペンは同価値」なんだ、、、そうか、、、、これからはそう思って生きることにしよう!!!!は幻想思考が起こっただけです。何もそれ以外起こっていないのです。

これとあれ

ここに「これ」があってあそこに「あれ」がある、、、、というのはそういう思考です。本当はそんな事実は一切ありません。その思考が消えればその幻想的事実も完全に消え去ります。つまり何もないのです。ですから何もないことが分かっていれば「母親とボールペン」の比較というのは不可能なことも分かってしまうのです。幻想の一部をくり抜く思考を前提にした比較って、、、意味ないじゃん!!!が分かってしまっています。同価値とはそもそも比較すら不可能であることが前提になった時の感覚です。