我々という感覚

抽象度

私から、、我々という感覚があります。会社を代表する時、、、我が会社は、、、という集団意識になります。日本人は、、、という感覚は日本人を束ねた集団意識です。人類は、、という言葉は、、、人間をまとめた集合意識です。。。では生命全般は、、という感覚に至った時、、それは万物、、全ての集合意識になった状態です。そして目に見える全ては「意識と意志」で構成されている、、、という感覚に至った時、、、、究極の集合意識と言えるでしょう。

さらに

目に見える全てに気づく存在とは?????という究極の感覚に至った時、、、、それは究極の存在に至るのです。私という感覚から我々は、、、という感覚にシフトし、、、万物とは、、、という感覚にシフトし、、、万物に気づく存在とは????という感覚にシフトし、、、「我々は無限であり永遠」という究極の状態に至るのです。集合意識とは感覚のことであり、、、その感覚も幻想に過ぎません。そしてその感覚はなぜ気付かれたのか???という究極の状態にシフトします。

究極の存在

究極の存在であるという自覚は、、、真我(無限であり永遠)に含まれています。ですから我々が行き着ける究極の状態は「我々は無限であり永遠だ」という自覚です。その自覚が生まれるためには「無限であり永遠」という自覚の「反映」が必要であり、、、それがまさに今見ている「これ」です。そして「これ」は何だ????という究極の問いが現れるのです。その究極の問いが現れる前段階として「私」という自己意識が生まれ、、私と世界という感覚も生み出されます。

自己意識から集合意識へ

「全て私のもの」という自己意識から始まり、、、私は小っぽけでひ弱な存在という錯覚が生まれ、、、そこから我々は、、という集合意識が徐々に徐々に生まれます。人類全体、地球生命全体、宇宙生命全体、万物全体という集団意識の拡張が起こり、、、最終的に、、ではこの万物全ては何から生まれたのか????という究極の問いが生まれます。