映画に夢中になれなくなる時期

映画はフィクションだから夢中になれなくていい

私は学生時代に毎週1本の映画を見続けました。恐らく社会人になる前に何百本の映画を見続けたと思います。映画から学べたことは半端なく多く海外の人々の人生観、人生を映画を通じて学びました。それはもう食い入るように観たのはこの我が人生をこれからどうしたらいいか?という漠然とした不安からでした。だからこそ自分とは違う境遇の人が味わう経験をモノにしたかったのです。ところがです、、、何百本の映画を観倒しても全答えが見つからない、、、

社会人になって本気で人生に悩み始めた、、、

社会人になって本気になって人生について悩み始めました。今やっている仕事をどうしても好きになれなかったからです。かと言って他に夢中になれそうな仕事もない、、学生時代の何百本の映画はこの悩みには一切答えてくれませんでした。とにかく本気になってこの悩みに悩みきった時に精神世界の書籍が湯水のように体に染み込んできました。そこには夢のような内容が書かれていて私の悩みを一時的に拭ってくれたのです。引き寄せの法則、正負の法則、運気の法則、カルマの法則、波動の法則などなど、、、私はこれらの理論にすがり結果その当時の悩みを解決できました。

その後映画に夢中になれない

自分の人生がエキサイティングになっていき、映画以上の波乱万丈を味わうようになってくるともう映画を楽しめません。映画とは退屈な人生におけるスパイスなのだと実感しました。もしも自身の人生がエキサイティングならば映画を観たいなど思わないということを知りました。結論を言ってしまえばこの人生もフィクションです、神が、全体がこの体になり切るというフィクション映画です、もしもこの映画に没入できるとその中でさらにフィクションを見たいという欲求が減るのは納得できます。

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