ある部屋

コップ

ある部屋にコップがあるとしましょう。そのコップはそのコップのオーナーが死んでから誰にも発見されずにその部屋に置かれそのまま10年以上放置されました。その期間そのコップは誰からも見られていません。そのコップは存在していると言えるのでしょうか???あなたは生まれてからあらゆる経験を重ねてきました。何億という経験を日々積み重ねてきました。ですがその経験が何かによって気づかれない時、経験は経験として成り立つのでしょうか???

つまり

我々はこの究極の存在のことをすっかり忘れて生きています。経験が何者かによって気づかれていてその気づきは当然この体の中の「私」だと思っています。ですが違うんです。その気づきは間違いなくこの世界の中には存在できないのです。なぜならば別次元の存在以外に「今ここ」に気づける存在が居るわけがないのです。ですがあまりにも上手くできているので、、この体である私が経験に気づいていることになりました。これが苦しみの大前提です。

日々の経験

このことに気づきますと日々の経験の意味が全く変わってきます。ただの会話であっても間違いなくその経験に気づく存在が今ここにはっきりと存在していることに気づきます。この経験の主体のことを誰もがすっかり忘れていますが実は全てこの気づきの中でこの経験が起こっているのです。なんということでしょうか。