モテない
モテるという経験を積みたいとき、モテないという経験も同時に経験させられます。モテないという経験が発生しなかったら「俺ってモテるよね」という体験を味わうことは不可能です。だから経験はセットです。稼ぐと稼げない、賞賛されると非難される、、全てはセットで起こるのです。だからそれがダメだということではありません。そうなっていることを受け入れる時「モテたい」という欲求が減ります、稼ぎたいという欲求が減ります。賞賛されたいという欲求が減るのです。
経験じゃない
真の幸福は経験の先にあるのではなく、、経験とは何か???に気づくことにあります。経験とは何かが分かっていないから「特定の経験」を追い求めていくのです。東京に行けば「稼げる」「モテる」「成功できる」という経験ができるに違いない、、と追い求めます。ですが経験はセットですからどちらもしっかりと経験させられるのです。そのことがハッキリと分かった時、経験ではなく経験の奥にある存在に関心が向きます。その経験を生み出す土台の存在に関心がいくのです。経験では真の幸福に至れないことを痛感した時、経験を生み出す真我という存在に意識が行くのです。
真我
二極、二対の経験を生み出すこの仕組みは何でしょうか??それが真我という存在です。この真我の中で我々は思った通りの経験をさせられています。稼ぎたいと強く願えば、稼げないも起こり、安定したいと強く願えば安定しないも同時に経験させられるのです。安定したいを手放した時、安定しないも同時に消えてなくなります。この仕組みの大元こそが真我です。真我は全経験を回収していきます。我々が経験の主体なのではなく経験そのものの創造主であることに気づいた時真の安らぎに包まれます。