神はこの世界で何を得るのか???

何も得ない

神はこの世界を生み出して何を得ようとしているのでしょうか??何も得ません。神は何も得ることができません。神は最初から完璧であって何かを得るような余白はないのです。神とは完全完璧だから神なのであって何かを得ることができてしまったら神ではないのです。つまり神はこの世界を創造しておいてそこから何も学ばないのです。

では????

では神は何のためにこの世界を作ったんですか??何のためにこの世界とこの私を作ったんですか???意味がわかりません。実は実はこの世界もこの私も作っていません。作れるわけがないのです。なぜならば神は物質でもなんでもないのです。物質でも何でもない神がなぜ物質世界である世界を自分をこの体を作ることが出来るというのでしょうか???不可能です。つまりこの世界もこの私も神は全く作っていません。

だとしたら

だとしたら「これ」は何なんですか???いまここに「これ」が確実にあってだからこうやって会話が起こっています。これは感覚です。感覚だけが起こり続けています。世界とは感覚のことだったのです。それが神の投影としてただ起こり続けます。神の投影はただただ起こらなくてはならないのです。なぜならばそれは神の投影だからです。神の投影がお決まりの何かだったら神は「お決まりの何か」で終わってしまうのです。ですが神は無限です。神は無限だから投影も当然無限です。

この投影

この投影は無限に現れ続けなくてはなりません。ですからここで現れる思考も無限です。神とは無限だという思考も起こりますし、神とは「これ」だという思考も起こります。とにかく何でも起こります。神の真髄に目覚めた思考も起こりますし勘違い半端ない思考も起こるのです。起こらなくてはなりません。ただだから今それがここで起こっています。神は最初から完璧で無限だからこの世界から何かをもなばなくては!!!なんて存在ではないんです。にも関わらずここでは学ばなくては!!という思考は起こります。

私とはまさかのその神です。最初から完全完璧な存在「神」こそが私の本性です。ですから私は何も学ぶ必要がありません。ですがここからは学ばなくてはという思考が起こりますし、学びたいも起こります。ですがその大元は完全完璧な神です。この矛盾に気づいた時、、全てが解放されます。何も学ばなくていいにも関わらず学びたいという思考が起こりそれが知覚され気づかれるのです。そしてその思考は起こらなくてはならないのです。

死とは???

死とは何でしょうか???死とはこの肉体の消滅です。ですがこの肉体は神の投影に過ぎません。つまり肉体という投影の消滅が死です。投影です。投影が消えることって何か意味があるのでしょうか??意味は全くありません。ですがこの体のあらゆる成長段階、衰退段階、消滅は起こらなくてはならないのです。なぜならばそれこが無限の現れだからです。ですがそれは無限の現れに過ぎないのです。

この体

この体は必ずどこかで消滅します。当然です。ですがこの体は消え去ってもそれに気づく「気づき」は消えません。そして我々とはその気づきです。何も学ぶ必要のない気づきが我々の本性です。ということで今日も明日も明後日もこの体は変化し続けそれが気づかれます。絶対に変わらないこの気づきこそが神であり我々です。思考は常に変化します。感情も常に変化します。この体も常に変化します。変化するものは全て気づきではなく気づきの現れです。神の現れです。それらは全て幻影ですからそれが見抜かれた時解放されます。