ストーリーの中でのヨガ
瞑想にしてもヨガにしても、、、これは方便です。方便ですが効果があります。瞑想をする個人、ヨガをする個人が確実に居るのです。今日は私は二時間瞑想をしました。今日は私は二時間ヨガをしました。。。。この発言そのものから「孤独感、無力感、分離感、悲壮感」が湧くのですが、、そこには気づいていません。ですがそれでいいのです、、、そのことがどこかで確実に分かる日が来ますから。仮に来なくてもいいのです、そういう自然現象だったという話です。
関心は作れない
明日から俺は女性じゃなくて男に興味を持って生きることにします。明日から俺はパチンコに興味が湧くように生きようと思います。明日から俺はブラジル人の生態に興味を持てるよう心がけます。。。。全部構想的に不可能です。興味とは持つものではなく持たされることだからです。ヨガ、瞑想を全く同じ、、そこに興味が湧くならば湧かされたのです、、、、だからそこには選択肢が存在しません。
悟り
「明日から俺は悟り一択悟りのみに関心を持つよう努力します!!!!!!!」無理無理無理、、、無い無い無い。。。。。。悟りも関心を持たされるのであって、、、持つものではありません。だから不可能、無理です。逆に言えば今悟りに興味があるならば、、、「持たされましたね」おもでとうございます。。。。。。。錯覚解放に興味が出ちゃうと、、、楽ですよ。だってそこには中毒性は全く無く、、、ただ安らぎの状態しかないからです。