魔法
「太郎くんはパスタを食べた」から始まり「僕はパスタを食べた」になり「私はパスタを食べた」になります。大人への階段で表現が変わります。ですが意味が全く変わります。何が変わるのか??????太郎くんの時と僕の時と私の時では、、、その言葉の背景が全くことなるのです。太郎くんの時、、それはただこの体を差して「太郎くん」と呼んでいました。僕の時、、それは家族の中での僕でした、、、ところが「私」と呼ぶ時、、、それは世界80億人とは分離したこの個体としての「私」になります。つまり分離がかなり進んだ「私」なのです。
分離
世の中を知るということは「私」の意味が全く変わってしまうということです。家族の中の私から、、、この村の私、、、次に日本という広大な国に住む私、、、世界80億人の中の私、、、、、私に付随する意味が徐々に徐々に変わっていくのです。。。つまり分離の強度が強く強くなっていくのです。「私はパスタを食べました」これは宇宙に対して、、全く違った意味での宣言になるのです。つまりこの言葉を発する度に強い強い分離感を感じることになるのです。
だから
だからといって、、この世界が、、80億人住んでいる、、というこのことを今更無いことにして、、生きるのは不可能です。社会で生きていく際に共通認識が無ければ生きていくことができません。社会ではどうなっているか?????ここを認識せずして社会生活が送れないのです。ではどするのか???????簡単です、簡単過ぎます、、、「私は」という言葉にはそのような意味が込められていると同時に、、、これは完全の幻想に過ぎないという「分離の全否定」に気づくのです。『「私は80億分の1の存在である」という意味でこれまでは私を使ってきたが、、本当は分離など存在せず、、そう思ってきただけ。』という新しい認識にシフトした時、、もう分離感は生まれようがないのです。
分離感からの解放
真実は嘘を露わにします、、、、真実に気付いて「嘘を信じ続ける」これはできないのです。つまりこれからは「私」という思考が湧いても、、、その私は80億分の1の「私」ではなく、、、ただの思考、幻想に過ぎない「私」であるという新しい気づきに基づく「私」が生まれます。だから私は私は私はと連呼しても、、今までとは全く湧いてくる感情が変わってしまうのです。