全く違う
本当の瞑想とは、、いまここで「究極の完璧」そのもので「在る」ことです。「私」が「瞑想」をする、、、これは完全分離、ストーリーです。この世界には分離は100%存在しません、、ですから瞑想する自分も「瞑想する」という分離行為も存在しません、、あるとすれば幻想としてです。本当の瞑想とは「ここ」(場所ではない)として全現象そのものであることになります。そこに「私」という思考が現れては消え、「音」が現れては消え、雑念が現れては消えていきます。
部屋の中で
毎日「部屋」の中で「私」は「10分間」瞑想します。これは完全にストーリー、幻想、妄想です。分離が100%存在しないのです。空間は存在しません、空間は幻想として存在します。だから当然「部屋の中の私」も存在せずそれは幻想です。在るのは、、音の認識、、視界の認識、、思考の認識、、香りの認識、触れる認識、、味の認識のみです。。。そして「音」「視界」「思考」「香」「触」「味」という境界線は100%ありません。分離がないのです。。ですから認識にも分離はない。。。ただ「認識」だけが起こるのです。「起こる」という言葉は「何もないところから出現する」という意味ですが本当は「時間」がないので「起こる」という言葉も矛盾します。
認識
瞑想とは「私」という幻想から外れて認識そのもので「在る」ことです。つまり意織です。明晰に明晰に「意織」であれば、、「意織」の中で、、、音、光、思考、感情、、あらゆるモノが現れては消えていきます。そしてそこにはスペースも時間もないことに気づくのです。スペースと時間がない「ここ」でただ現れを意織として認識するのです。これが本当の瞑想です。「私」という幻想が「ここ」になるのではなく「私」が幻想と見抜かれた時「ここ」が残ります。そこは時間も空間もなく全分離がない「無」です。