神(一つ)がバラバラになることはできない

だがバラバラに見せることはできる

これは神(一つ)が見る夢です。この夢は神(一つ)が人間(バラバラ)になり切ることでこの世はバラバラであると錯覚できる場所を生み出しました。本当は一つ(神)ですからバラバラになることはできません。だからこそバラバラと錯覚するしかできません。これが我々が生きる世界です。バラバラではなくバラバラと錯覚できる世界です。

人間が体験できるのは一つ

この世界がいかに分離しているように見えようとそれは幻想です。その証拠に我々が体験できることは常に一つです、バラバラと体験できる、錯覚できることはできてもバラバラを証明することはできません。例えば良い音楽を聴くという経験はできますが良い音楽が自分と分離して存在することを経験することはできません。今音楽を聴いているという経験はできますが自分と音楽が別個として存在しているという経験を証明することはできません。美味しい料理を食べるという経験はできても美味しい料理と自分が分離してあるという証拠は経験できません。美味しそうな料理を「見る」という経験はできますがそれ以外はできません。香りの良い料理を「嗅ぐ」という経験は積めますが私と料理が別個に存在するということを経験できません。

バラバラ体験はできるがバラバラを証明できない

神(一つ)がバラバラになることはできません。バラバラに見えるという経験はできます。神(一つ)はどこまで行っても分離できません。分離している風の体験はできます。これが限界です。一つは一つゆえにバラバラにはなれません。ですがバラバラになったような体験(一つ)はできます。どこまでも体験(一つ)は一つ(神)です。神(一つ)は一つゆえにバラバラになれません、だからこそバラバラ風の体験(一つ)をしました。

(Visited 2 times, 1 visits today)