「何か」はない
この世界には「何か」は存在しません。分離が絶対に絶対にないのですから「何か」がないのです。ですが我々は「何か」を目指さないわけにはいかない、なぜならば我々が「何か」だからです。「何か」である我々は当然「何か」を目指して生きています。だからヨガをして瞑想をしてマントラを唱えて断食をして「何か」になろうとします。ですが何度も言うように「何か」はこの世界には存在しないのです。
存在しない「何か」を目指して
「何か」は存在しないのですから「何か」を目指しての全メソッドは成功しません。最終的に「何か」になれても、例えばオーラが放射する、気が放射する、空中浮遊する、、「何か」になれてもそれは存在しないのですから「思考の中」です。「思考の中」で「何か」になっただけでまだそれは「マイストーリー」なのです。
ですが
「何か」を目指しての全行為は「勘違い」であるのは間違いないのですが、それと同時に「自我」を含む思考の全活動は悟りに向かっていきます。ですから「何か」を目指しての活動も全て悟りへの最短距離です。矛盾しているようですが何も問題はないのです。ここで言いたいのは「何か」を目指しての活動そのものは勘違いの動きであり「その何か」が悟りではないということです。ですが「何か」を目指しての活動の最終ゴールでそのことの気づきが起こります。