自由意志を斬る

バッサリ

我々は100パーセント自由意志を実感しています。コーヒーにするか紅茶にするか100パーセントの実感でどちらかを決めることができます。パンにするかご飯にするか100%の実感でどちらかを選べるのです。ですがにも関わらず「自由意志はない」のです。意味不明ですよね!!!!砂漠の真ん中に水たまりの蜃気楼が100%の実感で確認できます。100%です。ですがないのです。この世界ではこれは十分にありえるわけです。自由意志とはまさにその一つ、100%実感できるが100%実在しないのです。

決める

コーヒーに決めた!!!!この決断を起こすには「脳の活動」が必要です。脳を活動させるには脳細胞の動きが必要になる。脳細胞を動かすには「自分」という存在が必要になる。では自分を動かすにはどんな「存在」が存在するのでしょうか???「自分を動かす存在」です。では「自分を動かす存在」を動かすにはどのような存在が存在するのか????『「自分を動かす存在」を動かす存在』です。では『「自分を動かす存在」を動かす存在』を動かすにはどのような存在は存在するのか???[『「自分を動かす存在」を動かす存在』を動かす存在]です。、、、つまりこの世界では「初動」というのを行える存在は存在しないのです。

自分とは初動を行なっているされてきた幻

そうです、、自分とは「初動を行なっているとされてきた幻」なんです。ですがその存在は存在しえないのです。初動はこの世界では「起こり得ない」わけです。だから自分はいません、構造的に自分って存在できないのです。ただし「本当は何もしていないが便宜上の名前」としての「自分」は存在できます。何もしていないが「名前」として存在する存在です。これなら矛盾がありません。

急に寂しくなりましたけど

「自分っていうのが実は居ない」という説明を受けると急に寂しくなりますが????なぜ????そうです、、なんか拍子抜け、腰砕け、ガックリです。そうすると「コーヒーにする!!!」は誰が決めているんですか?????誰も決めずに「その思考は起こった」のです。因果の連鎖ではなく「ただ起こった」のです。自分で決めたという「実感」は100%起こりますが自由意志は100%「実在」しないのです。

悟り

蜃気楼とは100%実感できるにも関わらず100%実在しない存在です。自由意志は100%実感できるにも関わらず100%実在しない存在です。同じです。つまり幻なのです。そして自由意志が100%実在しないことを悟ってもこれからも100%自由意志を「実感」できます。このことが分かってきますとドミノのように幻想が崩れていきます。「実在」だと信じていた「モノ」が全部ただの「実感」でしかなかったことに気づき始めます。

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