この世界
この世界では一般的に幻とは「見える」けど実在しないものを言います。見えるけど本当はない。これが幻です。ところがこれだけを幻と認識していますと、、この世界の真理を理解できません。この世界とは全部が幻です、、目の前の机これが幻なんです。この机、見えるし「手で触れて」触れるし「鼻を近づけて」嗅げるし「舐めれば」味わえるし「叩けば」聞こえるという幻です。この世界ではそれらは「実在」と呼んできたのですが、、見えて触れて味わえて嗅げる『幻』なんです。見えるけど『ない』という幻ではなく見えるし聞こえるし触れるし味わえる「幻」です。
この自分
この体が「見えるし触れるし味わえるし嗅げるし聞こえる」幻なのですからこの体の中の自我も「あるように絶対的に感じれる」幻です。この世界は、、あるように感じることができる「幻」なのです。だから外を歩けば幻の太陽幻の雨幻の人間幻の道路が広がるのです。にも関わらず絶対に的にある自分が絶対的にある体に住み生きるというストーリーを描くことことから「違和感」が起こるのです。
幻
なぜ幻がこの世界を構築しているのか???なぜ????なぜ幻の世界が必要なのでしょうか?????逆に言えばもしもこの世界が全く存在していなかったらこの幻が存在していなかったら、、、幻に気づくという現象が起こりません。私たちは当たり前のようにこの幻を「認識」していますが、、もしも私が「この幻の全て」ならば、、、この幻に「気づく」は絶対に絶対に起こり得ないのです。私は「この幻のすべて」ではないから、この幻に「今」気づいています。
では何????
では「この幻のすべて」でない私は一体全体何ものなんでしょうか??????「この幻のすべて」以外の存在です。「この幻のすべて」ではない存在です。「この幻のすべて」とは全く異なる存在の全てですそれを「空」と呼びます。「この幻のすべて」を認識できるということは私は「この幻のすべて」ではなく、、「空」なんです。「空」だから「この幻のすべて」に気付けるのです。そして「この幻のすべて」があるから「空」という自覚が生じるのであって「この幻のすべて」が存在しなかったら「空」の自覚を持てない。。「空」の自覚を持てないならば「空」は存在しないことになるので「この幻のすべて」は「空」の一部であり「この幻のすべて」は「空」に絶対的に存在していないといけない部分です。