1日に何度静寂に触れるか

目を閉じると全ての音は静寂から湧いているのが実感として分かる

事実としてはこの世界は静寂から湧いています、目を閉じて音だけを注意深く聞いてみてください、、静寂から音が飛び出してくるのが分かります。これは実践しなくては絶対に分かりません、言葉で伝えるのは不可能です。静寂は言葉ではなく静寂であり、、静寂という言葉の中に静寂はないからです。ただ目を閉じる、そして全ての音に注目します、、冷蔵庫の電源の音、ヘリコプターの音、子供の泣き声、大人の笑い声、、、あらゆる音が聞こえてきます、、、事実はただ音だけがこの世界に広がります、、、音を発する何かは存在しません、存在してしまったら目の前の暗闇以外に何かが在ることになってしまいます。それでは目の前は完璧ではなく不完璧になってしまうのです。完璧な真っ暗な中から音が湧き出すことのみにしっかりと集中していくのです。すると全ての音は静寂から湧き出していることに気づきます。

ただ目を閉じるだけなのになぜ静寂が湧いてくるのか

目を開いてただ景色を眺めていても静寂はなかなか湧いてきません、我々は目を開き景色を見たら最後、これはTV、これはPC、これは観葉植物、と名前の世界に入っていってしまいます。そしてそれを見る自分を意識します。自分という感覚が湧き出してきます。視界を眺めながら自分を忘れるのはなかなか難しいのです。ところが目を閉じると名前がある世界が消えます、目の前には暗闇が広がります。その瞬間物が消えてなくなるのです、自分という感覚も消えやすくなります。音だけが静寂から湧き出してきます。静寂に触れれます。毎日静寂に積極的に触れることができます。すると目を開いても全ての物が静寂から湧いているのが体感できます。

その静けさは静寂に触れているから

エックハルトトールの動画を見た人は気付くと思います、彼はなんとも言えない静寂を醸し出しています、あれを誰もがやれると思ったら大間違い、、あれは静寂に触れ続け静寂そのものになってしまったから醸し出されるのです。彼の言葉は確実に静寂から湧き上がっています。静寂に触れ続け静寂そのものなってしまえば喧騒の中に居ても静寂を感じ、豪雨にあっても静寂を感じることができます。なぜならば全ては静寂から湧いてきているからです。

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