勉強ではない

触れる

私たちは「思考がでっち上げた罠」に引っかかって苦しんでします。思考が作り出した「私」思考が作りだした「私の人生」これによって「違和感」が起こり続け、この「違和感」を解消すべく「新たな思考」が起こり続けるという無限地獄に陥っているのです。全部これは思考ですから、、この思考を新しい思考に切り替えるのではなく真実に戻るのです。思考によっておかしくなった状態を思考を抜いて真実に戻るのです。

真実を思考する????

真実とは思考ではありません、価値観ではありません、概念でもありません、イメージでもありません。真実とは思考をはぎ取って残るモノです。真実とは価値観観念概念を剥ぎ取った後に残るモノです。ですから真実を知識として学んでも見つかりません、知識をヒントに確認していくのです。真実とは実在ですから、、真実を見つけることは実は容易なのです。

起こった事実のみ

真実とは起こったこと、これだけです。これだけが真実です。起こったことに意味づけをして意味づけ解釈を真実と勘違いすることで「違和感」が生まれました。例えば雨が降る、、これは事実です。ですは雨が降ったから気分が悪い、、これは真実ではなく、、感想です、、、雨=気分が悪いではなく、、雨が降ることで、、気分が悪いが起こったのです。雨には意味はありません。

離婚

離婚=残念なこと、、、これは事実ではありません。離婚が起こりました、、結果的に残念、、が起こる可能性もあります。結果的に良かった!!!が起こる可能性もある。。。事実とは、、そういうことです。事実に意味は含まれておらず、、そういう意味が結果的につけられるという事実はあります。こうやって事実だけを拾っていきます、、意味が全くついていない事実を事実として拾います。

事実を拾い続けると

事実のみを拾っていきます、事実を事実として。すると、、、なぜか違和感が起こらない。。。違和感が全く起こりません。代わりに安らぎ、平和が起こります。事実には意味は全くないことに気づいていきますと「違和感」が抜け落ちます。そして代わりに安らぎ、安堵、平和が起こるのです。これが悟りです、、事実に意味などつける必要はなかったのです。ただありのままをありのままに感じます。

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