求める

悟り、お金、地位、名誉

人間は求めます、、求め続けます、悟り、覚醒、目覚め、お金、地位、名誉、結婚、パートナー、家族、マイホーム、マイカー、学歴、、、、、、求めるのが人間の性です。この求める何かは全部「家に帰りたいという衝動の代替物」です。だから求めていいのです。そしてこの個人が何かを求め続ける限り、、家には帰れません。そこに気づきます。個人をやっているから「苦しくて」家に帰りたくなるのです。

何もしていない

個人とはとんでもない代物で、実は何もしていないのです。自動反応、自動反射で全思考、全行動、全感情がただ起きては消えているのですが、、、この全てを自分がやっているという思考が起こりそれが定着したのが自我です。ですから自我とは裸の王様、、何もしていないにも関わらず全部やっていると勘違いする存在「自我」です。この存在の登場によって「違和感」が常に起こり、、この「違和感」を消し去るための思考感情行動こそが「求める」という動きです。

達成

「自我」はあらゆるものを違和感解消のために手に入れ、達成していきます。物、地位、名誉、お金、称賛などなど。ところがこれによって、、、自信をつけていきます。。自我という存在に尾びれ背びれが付いていき、、大きく大きく成長します(錯覚として)これによって益々違和感が大きくなり得なくてはいけない対象(代替品)が大きくなっていくのです。ギャンブル中毒者が、、、少しの勝利では満足しなくなる、、アル中が少しのお酒では満足しなくなる、、全く同じ現象です。

気づく

全く満足できないどころか対象が徐々に徐々に大きくなっていくことから、、もうこの先には満足がおき得ない、、という気づきが突然起こります。このまま満足に向かって歩いても満足は起きない、、、という気づきです。そこで照準を悟りに向けるのです。悟りとは自我の終焉です、自我の実態を暴き自我に執着できなくなる流れです。自我とは実は何もしておらず、、そのことを暴くのです。

(Visited 4 times, 1 visits today)