我々の本質
周囲からは我々はマリオに見えます、周囲からは我々は一人間なんです。ですがそれは幻想です、幻です、マジックです。本当は本当は、、我々はマリオではないんです。。だから今目の前に映る視界は、、マリオの目では見ていないんです。今神の目で視界を見ています。映る全てを、、、そのままに見ているのです。例の肉眼ではなく、、神の目で見るんです。つまり映る景色をそのままに見ているのです。景色を景色のままに見ています。
神の耳
神の耳は、、鼓膜を使ったあれではなく、、、音を音のままに感じます、、音を、、その場所で、、そのままに感じます。これが神の耳です。神の鼻は、、、香りを香りのままに感じます。神の舌は味を味のままに感じるのです。食べ物を舌から脳に伝えて、、などはしていません。そのままに感じます、認識します。マリオの五感からの脳細胞というプロセスを使わずに、、、そのままに認識します。これが神の認識です。
周囲からは
今我々は現象を現象のままに感じていますが、、、これを周囲から確認すると全く異なった結果になります。人間は五感を使い脳細胞に伝達し、、が始まるんです。ですがこれは周囲から見た実験結果です。本当は神が現象を現象のままに感じます。これを周囲の科学者が観察すれば、、、目、耳、舌、鼻、肌からの脳細胞での人気であるという結果がでます。ダブルスタンダードです。どちらかが嘘ということではなく結果が全く異なるのです。
周囲からの
我々は周囲からの実験結果を信じました。だからこの体は五感を使って外部環境を認識するという味気のない、、実験結果の信者になったんです。自我とはこの実験結果に基づく主人公です。ですがこれは周囲から見たマリオのことであって、、本当は神が現象を現象のままに認識するという真実があります。