背景に写った人々による人格形成

背景は写った人々によって人格形成される

両親とはこの体にとっては背景の一部です、画像です、、、その背景の一部の両親と呼ばれる存在から、、この体に向かってあなたって「短気ねー」「やんちゃな子だねー」「物覚えが悪い子だねー」という呼びかけ反応が起こります。何度も何度もこの呼びかけ反応が起こることによって「私は短気でやんちゃな物覚えが悪い子」という人格形成が生まれます。この体から勝手にこのような形成がされるのではなく他人によってそれが行われるのです。

この体が目を覚ますと、、、

この体が目を覚ましますと(本当の夢の始まり)「私は短気でやんちゃな物覚えが悪い子」に背景から意識が集中しこのストーリーが始まるのです。幼稚園に通えば先生から「お行儀が悪い子」という声かけが起こり、、その都度その都度に人格が変容していくのです。PC内に溜まった記憶によってPC起動に伴いコンテニュー後のストーリーが始まるようにこの人生も体が起動しますと、、記憶に溜まったデータが蘇り、、コンテニューされます。私は短気でやんちゃな物覚えが悪い子は小学校中学校と通うたびに書き換えが起こり、、進むのです。

何かがおかしい

周囲からのイメージがそのままその人の人格になっていくわけですが、、そのイメージが強ければ強いほどに、、重い重責になっていきます。なぜならばイメージ強化は自我強化であり、、本当は背景であることから錯覚が強化されているのです。自我強化はそのまま錯覚強化、、、錯覚とは真実とは異なるという意味であり真実(真の安らぎ)からのギャップのことでもあるのです。

このギャップを埋めるべく

イメージ強化、自我強化、真の安らぎとのギャップ強化です。ですから周囲によってイメージが強化された人には多大なストレスがかかることから、、絶望感が起こります。特にそのイメージに責任、重責、役割が加えられていきますと、、そのイメージを物理的に逸脱できなくなり、、絶望が生きる感覚さえをも奪っていくのです。

(Visited 3 times, 1 visits today)