新しい映画作り

今年の目標は、、、、

学校に通うと毎年のように書かされるあれ、、、今年の目標、、、これって実は何をやっているかと言えば「新しい映画のタイトル」を再設定しているのです。今年の映画のタイトルをどうするか決めているのです。この私のニューバージョンの映画です。そして今年の目標は部活を頑張ります、数学を頑張ります、英語を頑張ります、、、となります。ですが真面目に真面目にこれをやる生徒から無邪気さが消えていくのです。

目標なんて必要ない

残念がら、、この目標設定は映画の中の主人公に自身を閉じ込めておく、、常套手段です。あなたはこの体の主人でありこの体だけがあなたのものだからあなたが責任を持って生かせていくんだよ!!!という洗脳です。だから重いんです、、なんかドライなんです、、、いても経ってもいられないぐらいに重いんで、、目標が必要になり、、目標に意識が行くことでこの重さを晴らすという手段を習っているんです。軽ければ目標なんていらないんです。

私たちの本質は最初から「完成」

目標を持つということは未完成な自分だからこそでしょう、、未完成だから成熟を目指して目標を設定しましょうということ。ですが我々の本質は最初から「完成」なんです。なぜ完成が目標を設定して、、、みたいなことをやるんでしょうか????意味不明ですよね、、だから無邪気さが消えていくんです。意味不明だから。この現象界を現象界あらしめている存在それが我々の本質です。この現象界を作っている存在です、、この現象に欠陥品もなければ優劣は100%ないんです。完全を完全が今この瞬間に作り出しています、、その本質が「我々の本質」です。その現象の中にこの体が現れ便宜上この私を作り私の人生を作り出しています、幻想として。

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