寸分違わず孤独を感じるためには

非孤独にしかこの芸はできない

私はこのぐらい孤独だ、、、私こそうつ病になるほど孤独だ、、私なんて死にたくなるぐらいですよ、、、、どちらがどのぐらいに孤独かは、、誰にも分かりません。。なぜならば比較のしようがないし、、全ては自分にしか感じることができないからです。ですがそれと同時に、、自分の孤独感は言葉では表現できませんが寸分違わずに感じているはずです。今日は孤独感をいまいち感じづらい、、本当はもっとあるはずなんだけど、、、とかないですよね。なぜか??????孤独を感じているのはこの私という感覚ではなく「非孤独」だからです。

「非孤独」が寸分違わず今「孤独感」を 感じているのだ。

孤独感を寸分違わずに感じるには全く孤独でない「何か」でしかできません。混ざり物なしの「何か」です。それは非孤独です、、、孤独が全くない存在、、、つまり神とか大いなる存在とですよね。。。。そうです私の本質はこの「非孤独」であり大いなる存在であり、神です。孤独で本当に死にたいぐらいですよ!!!!を感じているのが非孤独、神、大いなる存在です。孤独感が全くない存在でしか孤独感を寸分違わず感じることはできないのです。

世界中の全ての不幸を背負って

世界中の全ての不幸を背負ったような顔をして、、、、ですがそれを寸分違わずに感じることができているのは「神」「非不幸」だからです。不幸混じりっけゼロの存在でしか世界中の不幸を寸分違わず感じることはできないのです。え???????じゃあ私は今神なのですか?????そうです。間違いなくそうです。神が「私が居る」という感覚を作り出しその私が「世界中の不幸を背負っている」という感覚を作り出し、、全感情を味わっているのです。混じりっけゼロの神です。

神ならさっさとこの自分という感覚を消してよ!!!!

無理です、、神には「ああしよう、こうしよう、こっちにしよう、やっぱやめよう」なんて意思はないんです。神は全部ですから全可能性が起こるんです、、全くの未知、全可能性、だけしかありません。何が起きるか全くわからない、、これだけが真実です。もしかしたら今日それが起きるかもしれない、明日かもすれない、、、

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