上手くいっていない時も楽しめるか

上手くいっている時だけ幸せならば

上手くいっている時だけ幸福ならば、、人生の半分は不幸ということになります。なぜならば上手くいくかいかないかは全部全自動だからです。これは苦しい。そうではなく上手くいっていてもいなくても幸福、これならば常に幸福でいられます、なぜならば上手くいくかいかないかは全部が全部あるがままの表現でしかないからです。

上手くいき続ける人生もあるのでは???

勿論あるでしょう、ですがそれもあるがままの表現でしかないのでそれは完全にタマタマです、まぐれです、レアケースです。上手く行き続けるを仮に目指したところでそうなるかどうかは全てあるがまま次第、個人はそこには一切介入できません。逆に言えば上手くいかないまま人生が終わることも十分にありえるということ、その人生は終わっているのでしょうか?そうではないはずです、それもあるがままの表現でしかないのですから愛おしいのです。

究極の不景気に生まれそのまま死ねば

ある国家の究極の不景気時に生まれそのまま50年間で命を落とせばその人の人生のほとんどは上手くいかなかったで終わるでしょう、ですがその人生は悲惨なんでしょうか???そんなことはないはずです、全部が全部あるがままの表現ならばそれはそれで面白いのではないでしょうか。究極の好景気の国があれば反対も当然ある、それがあるがままの表現です。

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