どんな思考も

関係ない

どんな思考が湧こうとどんな感情が湧こうとも、、、それを観察者になって観察します、、、なんか思考がわくなー、なんか感情が湧くなー、、、と。重要なことはこれを私ごと、私のモノ、私の大切な思考、感情と握り絞めないことです。これはただ湧いたのです、、どこかから、、、これを自分のモノと掴む事で、、ではどうしよう、ああしようという無限ループに入ります、、、そしてその行動の全ては勘違いからスタートしますから、、つまり合わない靴を履くことになり、、歩けば苦しいのです。

合わない靴

勘違いをベースに歩めば、、、合わない靴を履いて歩めば、、、、とにかく苦しい、、、歩くこと自体が苦しみになります、、、、最初の最初を完全に変えてしまう、、、、「私」が思考、感情、行動を湧かしたのではない、、ただ湧いたのだ、、、、、つまりこれまでやってきた「私」の役割を完全否定するのです、、、「私」とはただこの体に付けられた名前でしかない。自我を正しい認識に改めます。

無間地獄「自我」

あらゆる思考が湧く場所、、それが「私」この新しい認識を手に入れますと、、、「私」は出しゃばりません。ただ思考、言動、感情が湧く場所に過ぎない、、、、この「私」は。順番を入れ替えるのです、、、すると、、、私という認識が完全に変わることで、、、、見ている世界が完全に変わります。。。「私」の外と「私以外」の境目がなくなる、、、この「名前」以外に境目がない、、、、、、急に私以外に価値が生まれます、、「私」が闘う場所だった周囲が、、、そこも私になる、、、、、「私以外の周囲」は、、、、名前がついていない「私」に生まれ変わるのです。

全部が私

全く新しい感覚、、、名前が付いた「私」と名前がついていない「私」、、、境目は名前しかなく、、、事実上全くの一つ、、、、これが湧いてきます、、、、これを感じます、、「私」が感じるのではありません、、たった一つをそのままに感じるのです、、、ただ感じるが起きます。。感じる「私」はもう存在しません、、、感じるがただ起きるのです、、、、

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