究極の静寂

自我が緩み始めると

自我が緩み始めますと、、静寂が日常生活の中に入り込んできます、、音が明晰に聞こえるようになります、、音を聞く自分の存在はなくなります、、音が音のまま聞こえます、、人が人のまま見えるようになります、、、植物が植物のまま感じることができます、、、何もしていなくても、、なんとなく幸せ、、周囲からどう見られたいとか、、その感覚も無くなっていく、、、周囲の反応そのものが自分のものというなんとも言えない感覚になります。

この場所で起こっていない情報

この場所で起きていないこと、、海外のニュース、海外のエンタメ、日本のエンタメ、芸能ニュース、経済ニュース、、、、そこに興味が向かなくなります、、なぜならばそれが実際には起きていないことを知っているからです。この場所以外では何も起きていないことを知っています、、、だから見る必要性がない、、私の知らないところでは事件が実は起きていない、、

あのニュースを知っておけば

あのニュースを知っていれば良かったのに、、、それがないのです、、起きていないのですから、、この場所以外では何も起きていないのです、、実際には。起きていないことをなぜ知る必要があるのか???ということです。事件は現場で起きているんだ、、、は映画の有名な言葉ですが、、、事件はこの場所でしか起きません。

究極の静寂

この場所以外では何も起きず、、ゆえになんの心配もしなくていい、、私の言動も全て、、、勝手に起こっていて何一つこの私は決めることができない、、ゆえになんの心配もしなくていい、、、本当はこレは夢物語で本当はこの奥に真実が隠れている、、だから何もしなければならないことはなく、ただここに居ればいい、、、ゆえに何の心配もしなくていい、、、これが徐々に分かってきますと、、究極の静寂を感じ始めます。

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