「自分」とはスポーツ選手のユニフォーム

ユニフォームは何もしていない

スポーツ選手はユニフォームを着てそこに番号を付けます。見かけ上の自分という存在はこのユニフォームです。自分は何もしていないのです、、走るのか、蹴るのか、歩くのか、、、これを決断しているのは体であってユニフォームは何もしていない、、、にも関わらず、、ユニフォームがしているという勘違いだけが起きます、、相手のユニフォームをみて、、なぜあのユニフォームはあんなプレイをしたのかと非難します、、なぜあそこで蹴ったのか??あのユニフォームは、、としかしユニフォームは何もしていない、、、これが見かけ上の人間の苦しみです。

最近のあの人(ユニフォーム五番)は頑張っている

最近あの選手(ユニフォーム5)頑張っているよね、、、違います、、ユニフォームは何もしていないのです、、、それでもそれを伝えます、、、いやー最近の君(ユニフォーム5)は凄い頑張っているね!素晴らしいよ!、、、ありがとうございます(ユニフォーム5)、、、なんか色々反省してみてやる気が湧いているんですよ(ユニフォーム5)、、、、、今度他の選手(ユニフォーム)にもハッパをかけてみます、、、

大いなる勘違い

全員(ユニフォーム)が何を考え何を行動すかにおいてユニフォームは全くもって無関与です、、にも関わらず全員でユニフォームが全部を全部決めているという夢を見ているのです、、ユニフォームはただ体(真我)の動きに従うだけ、、、ユニフォームはその動きに付いていっているだけです、、、外から見て、、ユニフォームが全部決めているように見えても全く関係ありません。

あの選手(ユニフォーム10)は何をやっているんだ!!

監督(ユニフォーム)が怒ります、、、今日の10番(ユニフォーム)は何をしていんるんだ、、全く動きが悪いではないか、、、違います、、ユニフォームは何もしていないんです、、、あとでしっかりと注意しなくては、、、ユニフォームは何もしていない、、、見かけ上の人間にはそう見えているんです、、、この事実がはっきると分かると人間関係(ユニフォーム関係)はまるで違ったものになります。

全く動かない仲間(ユニフォーム)にはどう伝える????

何を伝えてもいいんです、、もっと動いて、、もっと歩いて、、もっと守って、、、でもそれを決断する力がユニフォームにはないんです、、、では体(真我)にその力があるのか???実は体(真我)にも自由意志はありません、、体は勝手に動いています、、、つまり、、、、それを決めることができる存在は存在しないということです。

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