全部に名前をつけたら苦しくなった

あれ、、便利かもしれないけど苦しい

私たちは毎日あらゆる名前を覚えていきてきました、、、学校に進み毎日学校では名前を覚えさせられます、、そして就職しても同じで毎日何かを覚えさせられるのです、、、これによって確かにこの個人は生きることができている???便利なのかもしれません、、ですが苦しいですよ、、、何か重いんですけど、、、になります。それはそのはずこの現象界ないは「これはこれ」という決まった名前など一切なく、、ただこの現象が移り変わるだけです、ですから、、、無理がわけです。

この私の体も、、、

この私の体という代物も、、見る物全部は変化していきます、、、それは当たり前のことで、、人間がこの移り変わる現象に勝手に名前を付けたのですから。。。植物が枯れる、、、冗談じゃない、、いつも変化を続けているだけです、、、、枯れて悲しい???冗談じゃない、、、ただ変化が起きている、、最初から最後までいつもこれです。

死ぬことは悲しいこと???

冗談じゃない、、、この人間と呼ばれる現象も、、変わることが当たり前、、いずれはなくなるです。。この現象界の存在は全部このパターンです。意識という絶対的な存在、、この変化に気づく存在が、、まさかのこの体の中に在るという錯覚が起きました、、これによって絶対的な存在が移りゆく現象の一部に宿っているという大錯覚が起きたのです、、これは大変なことです、、なぜならば意識はこの体という現象とは実は何も関係がないからです。これが苦しみのメカニズムです。

最初から名前など無かった、、に気づく意識

絶対的存在、決して意識しない時がない存在、気づきの意識は名前のついたこの体が所有しているという錯覚を作り、、その中に閉じ込められるという錯覚を作りました。そして名前が付いたあらゆる存在に取り込まれるというダブル取り込まれです。ですがこれらは全部後付けの名前でしかなく実体がないことに気づきます。あ、、もともとただの現象界だったに気づきます、この体と呼ばれる現象も実は実在してないや、、です。