全ては気づきの意識の中で起きている

気づきの意識の中以外では何も起きない

何かが起きた、、全部気づきの意識が気づいています、、、鳥が鳴いた、、、音を気づきの意識が気づき、、鳥という名前が気づきの意識から湧き上がりました、、それを私が見た、、という気づきが起こりました、、ただそれだけ、、、あらゆる生命現象に、、名前が湧き出すことで、、そこにドラマが起こります、、気づきの意識から、、生命現象も、、名前も気づきの意識から現れては消えていきます。

私が今歩いている

ただ揺れ動く生命現象が起きています、、そこに私という名前が気づきの意識から湧き上がり、、私が歩いているという思考が湧き上がり、、、花、、信号機、、カフェ、、と次々に名前が気づきの意識から湧き上がっていきます、、移り変わる生命現象に、、同時に名前が湧き上がるのです、、、これで私が歩き、、様々な物を見ているというドラマが起きるのです。

公園を歩くだけで

公園を歩くだけで、、、様々な生命現象が移り変わり、、、そこに名前が湧き上がる、、、すると猫、木、子供、老人、、昆虫が湧き上がってきます、、、最初に生命現象だけがあります、、次に「私」、、、猫、木、子供、老人、、、と名詞が付いた独立分別した存在が登場するのです、、、名前が全くついていない生命現象に、、、様々な名前がついた登場人物が登場します、、、

名前が付いたから登場した

名前が付いたから全部登場しました、、この私も、、猫も、子供も、、バッタも、蝶も、、木々も、、花も、、名前が付けられて初めて登場できます、、、気づきの意識が気づけるのです、、、そこに意識を向けることができるのです、、、名前が付いていないものには焦点が合いません、意識が集中できません、、この私が歩き、猫、バッタ、、蝶、、を見ているという錯覚を起こせるのは、、、気づきの意識が私にフォーカスし、猫にフォーカスし、蝶にフォーカスしたからです、、、気づきの意識の中に現れる移りゆく生命現象に対し順番に意識を向けているだけです。そういう意味では何も起きていない、歩いてもいない、、

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