今意識がある、、この意識が「自分」を意識することで苦しみが生まれる

自分という名詞を意識する気づきの意識

私を意識する気づきの意識、、自分を意識する気づきの意識、、〇〇○太を意識する気づきの意識、、、気づきの意識はたった一個しか意識を向けることができません、、、私に意識をすればそこにのみ意識が向きます、、、あらゆる経験は本当は気づきの意識がしていますが、、その経験の全てはこの私に意識が向いていきます。。。経験をしたことになった、、、私に意識が向くのです、、、

本当は経験しかないことに気づきの意識に気づかせる

目を閉じてコーヒーを飲めば分かります、、そこには飲む自分もコーヒーカップも存在せず、、、何かを何かが「感じる」しか存在しません、、何かは実はなく、、感じるしかないのです、、、どの辺り、、口になりますが、、それもないのです。口は名詞です、、、感じるは動詞です、、、感じるもない、、、経験しかないのです。。。経験も名詞、、経験という名前をついていない、、気づきがあるだけです。気づきの意識の気づきしかないのです。

これしか常にない

目を閉じて歩けば、、、足のアスファルトを踏み締める感覚だけがあります、、ですが足というのは名詞です、、アスファルトも名詞です、、ただ踏み締めるだけがあります、、、踏み締めるは動詞です、、ただこれがあります、、、、自分があらゆる物、人に囲まれてあらゆる経験を積んでいると思っていますが事実はこれしかありません、、気づきの意識がこれに気づいているだけです。気づきの意識がこれに気づくだけ、この世界に苦しみが湧きようがないのです。

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