「我在り」として存在するか、その中の「自分」で居るか

ストーリーの中では自分が出しゃばる

この自分ストーリー、この人生劇場の中に居れば、、周囲はこの「自分」に話しかけてきます。そのため自分はその度に再起動し「自分」を強化します。この体の中の思考、感情を含めた「自分」がこのストーリーの中んではデフォルトですからそれは当然です。ですがこれによって「自分」という存在が錯覚から実在になるわけでは絶対にありません。あくまでこれは錯覚の世界を抜け出さないのです。「自分」という思考が強化されるだけです。

ではこのストーリーの世界から抜け出るには???

ストーリーの世界の中に居る限り「自分」を強化する要因が多くあります。この「自分」がデフォルトのストーリーが延々と続いていきます。ではどうやってこれが錯覚であることに気づくのか???自分というのがいかに錯覚であるかを理解していくことにあります。トリックとはネタバレしていないからトリックであってネタバレしてしまったらトリックはトリックとして成立しないのです。ひたすらにこのネタバレを理解していくほかありません。もしくは事実にのみ向き合っていくこと、事実に向き合い続けることで事実に馴染み、究極の事実が向こから出現します。究極の事実とは本来の自分、エネルギー、大いなる一つです。

自分のメカニズムを理解したら、、もう自分に集中できない

自分とは圧倒的な錯覚がより集まって絶対的なものになっています。錯覚の寄せ集めがこの自分ですからこの錯覚のカラクリを暴き続けていけばいずれはカラクリに引っかかることができなくなります。カラクリとは裏側を知らないから騙されるのであって知ってしまえばそれは不可能です。ということでこの錯覚の仕組みを理解していくことは重要です。

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