個人の次元、存在の次元

次元の垣根を越える

覚者はいいます、今ここに全体があると、、目の前に輝くダイアモンドのような全体があると、、ですが人間はそれを聞いても全く意味がわかりません、なぜならば生きている次元が違うからです。同じモノを見ているようで全く違うものを見ているのです。偉大な人のことを称する時に見ている次元が違うと表現したりしますがあれは本質を突いています。自分を生きている人と覚者では生きている次元が違うのです。

個人は全体を解釈した世界に生きている

個人はではどこに居るのか???それは全体の次元から分離錯覚し、価値観というフィルターで装飾した世界に居ます。存在から独立分離したと先ずは自身を切り抜いてみせさらにその切り抜かれた自分が存在を切り抜いたん分離世界に住んでいると錯覚した世界に居ます。全体とは別次元に住んでいる状態です。全体の中で夢を見ている状態です。全体の中で寝ている状態です。

熟睡後は存在の残滓が残る

個人の熟睡とは個人が一時的に解消した状態ですから存在の次元に戻ります、ここは平和、歓喜、安堵の世界です。だからこそ熟睡後には個人はなんとも言えない至福感にしばらくの時間過ごすことができるのです。そして意識がしっかりしてくるとまた存在とは違う次元に戻っていきます、空気が薄く、酸欠状態になる次元です。そこは時に楽しくエキサイティングですが安堵の至福感とは全く違う焦燥感が残る世界です。

(Visited 1 times, 1 visits today)