思考に気づくとは自身が指ではなく腕であることに気づくこと

指とは思考である

なぜ指が独自の感覚を持ち、腕とは全く関係がない存在だと勘違いできるかといえばそれは思考がそうさせているからです。指は独立しているという絶対的な思考があり、その上で指はこの全体(腕)を眺めることで腕が分離した世界に変化します。これが指の独立宣言です。これを可能にしている存在こそが思考です。ですから思考が湧いた時にこれに気づくことは指ではなく腕として存在していることを意味します。指は思考に完全同化しています。指は思考に気づきません。

一日中思考を放置してみる

一日中思考を放置するということは、、、指を放置するということです。腕に完全に成り切って指の存在を忘れてしまうということです。指からしたらたまったもんではありません、せっかく指として独立宣言したにも関わらず存在が薄れていくからです。これを指は嫌います、ますます思考が湧き出して指を主張するでしょう。ですがこれも放置します。すると徐々に指は存在性が薄れていきます。主導権が腕に戻ります。

思考との完全同一化は指の完全独立

思考が湧いてもそれに気づかず一日中思考に振り回されている状態は、、指に成り切っている状態です。指とは思考ですから、腕の中に指という完全独立した存在することを許すことになります。これは悪いことではありません、ですが非常に心苦しい体験であることは間違いありません、孤独感、喪失感、居心地の悪さ、焦燥感が湧いてきます。なぜならば本当は腕から完全分離した独立した指など存在しないからです。

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