非二元は徹底的に感じるもの

無我も無心も非二元も徹底的に感じ尽くす

エックハルトは思考を観察せよと説き、金森さんは思考を放置して日常生活を感じろと説く、私は何からでも無心に入りましょうと説きます。要は思考が抜け落ちな状態を体感しましょうです。思考が抜け落ち非二元の状態、無我の状態、無心の状態を経験しますとそこが余りにも恍惚感がありそこに居続けたくなるのです。もう思考の世界、二元の世界、幻想の世界に興味が無くなる。人から何を思われてもどうでもいいのはその恍惚感を知っているからです。例えが悪いですがドラッグ中毒の人が人間生活に興味が無くなるのはキマッた状態が快楽過ぎるからでしょう。無我無心非二元とはそのような状態なのです。

思考の世界は苦しいよ

思考の世界とはこの「自分」の世界です。自分とはこの体、思考、感情のことです、、、思考が湧き続けていないと心配になるのは自分ではなくなってしまうからです。ですが思考が抜け落ちた状態、自分が居ない状態こそが悟りの世界、無我の世界、非二元の世界です。ここが一番の場所です。なぜならば我々全員はここから生まれたからです。母親の子宮の中の感覚でしょう。

思考が湧いたら放置する

思考が湧いた、、、そこからそこに取り込まれない、、、感情が湧いた、、、そこからそこに取り込まれない、、どこから湧いたのか???なぜ湧いたのか??そこから自身の観念を観察する、、、これも一つです。どのような観念を持っているからこの思考が湧いたかを観察する、、、ですが多くの方にはこれは難しすぎる、、、ならば思考を放置せよ、、です。そして常に五感の世界を味わい尽くすのみ、そこは今、無我、無心、非二元の世界です。つまりそこには平和、歓喜、安堵が横たわっています。

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