分離の錯覚の終焉

分離した世界を結合させていく

世の中で名前を覚えていきますと分離が進んでいきます。あらゆる種類の花の名前を覚えれば覚えるほどに花畑に行けばあらゆる花が存在することに気づきます。これは分離が進んでいることになります。例えばサーファーは波の形に対して名前をつけることで海に行くと専門用語のよう今日の波を解説しています。サーファーには波が波ではなくより具体的な名称を伴う波なのです。サーファーには波はもうそのように見えてしまうのです。これが分離が進んでいく傾向です。ですが世の中には分離してしまった宇宙現象を再び結びつける情報があります。例えば波は海が形を変えてそう見えるだけ、、この情報を得ますと波が海に見えてきます。波という分離した存在が無くなってしまいます。抽象度をあげる、高い視点から見る視点を覚えると途端に情報量が少なくなるのです。

起業するために、、、

例えば起業するために起業ハンドブックを読めばあらゆる情報があります。もしもこれらを暗記していったら頭はパンクしてしまうでしょう。ですが起業のプロが現れ、、、要は起業とは、、自身のサービスをより多くの人に知ってもらいサービスを受けてもらうことなのだと解決が入ると、、、意識を向ける方向がそこだけに集約されます。プロのドライバーは運転のコツを掴み少ない情報量だけで卒なく運転しますが、初心者は何が重要な情報か分からないので目線を左右前後に忙しくなるのです。かといってプロのドライバーが周囲を見ていないわけではありません。意識の向けるポイントは少ないだけです。このように完全分離した世界を改めて融合させていくそんな情報の先に悟りはあります。というよりも究極の融合こそが悟りです。つまり分離は何もないということに気づくことです。

分離が悪いわけではない

分離意識全開で生きている人は苦労が絶えなくはなります。見てる世界に活気は一切なく、生気もない、、人生終わっているがデフォルトです。ですがその状況すらも悪くないのです、それも分離ゲームの醍醐味なのです。その分離状態がなければ融合されてその中に生気が取り戻されていく感覚を楽しめないのです。これがしたくて神はこの世を作ったのですから。分離は苦しくなる、融合は楽になる、、、その最終融合が悟りです。全ては実は一つのエネルギーだったという気づきです。

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