神が見る夢

夢の中でのサバイブ術

自らルールを作っていく

これは夢です、完全に夢です。本屋に行きますと、、棚にびっしりと各種書籍が並んでいるわけですが、、これらのほとんどは、、、この夢の中でのサバイブ術です。女性にモテるには!収入を増やすには!目標高校、大学へのノウハウ本、副業100選、ファンションの手引き、、、結局はこの夢の世界で豊かになる方法が書かれているわけです。ところがこの夢は同時に自身の観念が投影された世界ですから、、、ノウハウが増えれば増えるほどにやるべきことが増えていくというジレンマを抱えているのです。

高収入がモテる!!!というノウハウ

高収入がモテる!というノウハウを学べば、、、高収入でなくてはならなくなり、、やるべきことが山のように増えるのです。高収入になるためには????国家資格を取り、有名企業に勤め、その中でサバイブし、、とエンドレスにこれが続きます。モテメイク!を学べば、、毎日出勤前の準備が増えるのです、そしてサボればモテなくなる。なぜならばそう信じているから。その観念がこの夢に投影されるのです。

観念という牢獄からの脱出

高学歴、高収入、高身長がモテる!!と学び信じれば、、、、そうでなければモテない!!!というドラマが生まれます、この夢の中で。コレは夢ですから観念、信念がそのまま投影されるのです。観念、信念が増えていきますとやることが極端に増えていくのです。この観念のカラクリを見抜かないと、、観念という牢獄に閉じ込められたままです。

城としての自由意志はない

自由意志のカラクリ

我々は浮かんできた思考を自由意志と思っています、、そうだ、マック行こう!そうだ、スタバ行こう!そうだ公園行こう!!!あらゆる選択肢の中からそのアイデアをチョイスなどしているわけはなく、、、浮かんできた思考に乗ることでそれを自由意思と言ったりします。そして厄介なことに自分にも自由意志があるのだから他人にも当然あるはずだと固く信じるわけです!こうして自由意志と自由意志の関係性が始まったという大誤解を始めるのです。

独立した城であるには自由意志は必須

砂上の上の城を自分自身と信じるためには自由意志は超重要になります。これがあることで俺は存在しこの城の主人であると思うことができるのです。ですが上記のように自由意志はないのです、、そしてこの城には自分が居るという思考も勝手に湧き起こったものなのです。そしてこの城には自分が居るのだから相手の城にも誰かがいるに違いないという夢を見ているのです。

砂とは何か???

全部の城は砂でできているわけですが、、この砂は何でできているのでしょうか????それが空の現象化です、空が現象化したのが砂であり、、その一部が城として現れたのです。そしてそこには思考というものも現れこの砂を思考という観念で見るという現象が現れました。観念という現象を通じてこの砂を除けば、、あらゆる夢が広がっていくのです。時間があるという現象、空間があるという現象、、、これらが混ざり合いドラマが生まれます。

主役(体)と脇役(全体)を入れ替える

多くの方は逆をやっている

多くの方はこの体が主人公で体を取り巻く環境が脇役だと思っています。ですが本当はこの環境こそが主人公、本当の私です、そしてこの体は脇役なのです。環境とは何か???この夢そのもの、、この夢は空、絶対、ワンネスの顕現そのものです。そして我々の本質はそれなのですから。その中にこの体が夢の一部として顕現したのです。そしてこの体がいつもこの夢に登場することから序列が一気にトップに上がりその中に「自分が居る」という思考が固定化されたわけです。

体と環境はいつもセット

生まれてきてこの方、、この体そしてそれを取り巻く環境がセットで登場し続けてきました。そうです環境+この体でこの夢は成り立っているんです。環境だけでもなくこの体だけでも成立しないのですからどっちが重要ということはありえないのです。ところが我々はこの体の方が重要と信じることで同時に虚しいを感じるようになってしまったわけです。

今見ている世界

今見ている世界、夢そのものが私です、、だからその夢の中で人と競り合ったり、人よりも偉くなったりしても、、何の意味もないのです。この夢自体が自分自身ですから。鏡に写ったこの体の中に自分が居るとやはりこの夢の中で教わりそうだと信じてきただけです。鏡もその中に写る姿も全部夢です、、そしてもう一度そのことを思い出しますと平和至福が蘇ってきます。私たちは何も手に入れる必要がないのです、なぜならば見る世界全てが自分自身だからです。

この体の奇跡

夢の中で消えないこの存在

この体だけがこの夢の中で一切消えない存在です、この体だけです。それ以外は常に入れ替わり立ち代わりしていきます。何かに没頭している時この体はこの世界から一時的には消えるんですが気づけばこの体は元の場所に収まっています。この体は常にこの夢の中心に居座り続けています。

ただしこの体も夢の一部

ただしこの体もこの夢の一部です、、この体があるように見えているだけです、、画像です。勿論触ればこの体は反応しますし、食べれば味覚を感じます、、ですがこの体が実在するという証拠はありません。どこまでいってもこの体は夢の一部でしかないのです。移りゆく夢の一部としてこの夢に鎮座し続けています。

その中の私

一方この体の中に居ることになっている私は、、忘れてしまえばずっと出てきません。例えば忙しさで忙殺されているときなどしばらくは出てきません。一旦落ち着き我に返った時に「あー今日は私は忙しかったなー」と我に帰るのです。この体がこの夢から消えないから、、この私も存続できているのです。そこら辺が分かってきますと、、覚者がいう「私って本当は居ないんです」という言葉が入ってきます。

私が居るという前提の観念

この体が存続されているから「私が居る」は成り立つのであってこの体がこの夢から消えれば「私は居る」は成り立たないわけです。この私が居るという思考、この思考を前提にした観念は、、そこが崩れますと変わって行きます。常に私は居る、あなたの体にも「あなたが居る」という前提の観念が構築されており、、ここが崩れていきます。するとこの夢は観念が投影された世界ですから見える世界が変わっていくのです。

あの人は今

TV番組企画でたまにあるやつ

あの芸能人は今????そんなTV番組ありましたよね????10年前20年前のアイドルが今は何をしているのか?????というやつです。多くの場合は主婦になったり事業家になったりラーメン屋やってたりとなって番組に久しぶりに登場します。本当のことを言えばその人はこの宇宙に何十年間居なかったんです、、番組が探したからこの世界、この宇宙に再登場したのです。もっと言えばその人はTV画面上にだけ再登場したんです、画像のみです。TVを消せばその人はこの世界、この宇宙から居なくなるんです。

芸能界から干され、、なんとか生きてきました、、、

そのアイドルは番組では言うかもしれません、、、「人気がなくなり、、なんとかパン屋で食いつなぎ、、、」嘘です、、完全に嘘です、、、この世に居なかったんです。コレは夢ですから、、この夢を見ている人が居ない場所では、、存在できないんです。だから全く心配しなくていいんです。

一方この私は、、、

周囲の人が居なくなっても、、、この私だけは、、、ずっとこの夢の中に居続けることは可能なんですよね?????残念!!!!!!この体は常に返ってきます、、、ゲームに飽きたら、、TVに飽きたら、、映画に飽きたら、、、この体は返ってきますよね!!!この夢に。。。そしてその後に、、、この私がTV、映画、ゲームをしていた、、、という思考が登場するんです。この体がこの夢に確実に返ってくるから、、、私は存続できるんです。この体が返ってこなかったらとうの昔に私なんて消えてます。

じゃあ、、私って本当は居ないんですか???

居ないんです!!!!この体が夢に確実に戻ってくるから、、、私は再登場できるんです、、、この体が100%この夢に戻ってくるから、、、この私も、、常にこの夢に戻ってくるんです、思考として。体あるじゃん、、じゃあ私もいるじゃん!!!です。その後付けの私が、、、偉そうにのさばって生きているんです、思考として。映画にどんなに没頭しても、、この体は絶対に戻ってくる、、だからこの私も絶対いる!!!になるんです。これは思考です。

夢の中で主人公が入れ替わる??

たまにあります

夜見る夢の中で、、、たまに主人公が入れ替わることってないですか????最初は男をやっていたのがいつの間にか女になっていたり、、、最初は孫悟空をやっていたのがケンシロウになっていたりと、、、、、夢の中ってなんでもありです。ではなぜ主人公が入れ替わるなんてことが起きえるのでしょうか???それは状況の変化に意識が集中し主人公のことを忘れてしまったからです。意識が周囲に向かっていたからです。その時は主人公、私をやっている余裕がないのです。

この現実世界では

この現実呼ばれる夢の世界ではなぜそれが起きないのか?????それはこの体が変わらないからです、、、周囲に意識が完全に向かっても振り返ればこの体が居るからです。だから周囲を観察していたこの体の「私」を再確認、もしくは再登場させれるのです。ゲームに無我夢中になっても、、終わればこの体がしっかりといるんです、、、だから「私」がゲームをやってたと再確認するのです。ただそれだけ、、私が不動でそこにいるんじゃないんです、、、この体が不動でそこに居るんです。

そろそろ分かってきましたか????

夜見る夢の中で主人公が入れ替わっちゃうのは、、、体が変わっちゃうからですね。孫悟空をやってたのを忘れクリリンになったり、ベジータになったり、、、、ところがこの現実と呼ばれる夢ではそれはないわけです。だから自分がこの体の中には居るんだという理論、思考を維持できるんです。本当にそれだけなんです、、「私」という存在は100%だと言い切っていても、、体がそれを保証してくれているだけなんです。私たちはしょっちゅうこの私を忘れてゲーム、仕事、ギャンブル、アニメ、映画に没頭しています。そしてこの体を見て「我に帰って」いるだけです。

80億人の人類???

昨日は何人に会いましたか???

コレは夢です、完全に夢です。この夢の中で昨日は何人に会いましたか????私は昨日5人に会いました、、、するとその人数が全ての人数です。この夢では五人だけが登場したのです。すると残りの7999999995人はこの宇宙には存在しなかったということになります。ではどこに行ったのか????どこにも行っていません、存在しないのです。五人だけが画像としてこの夢に登場したのです。

周りも活動していると勝手に思って右往左往する

天気が良い日曜日、、周りはピクニックやキャンプ、スポーツにデートを楽しんでいる。そんな中で一人部屋で寂しくゲームばかりをする、、、落ち込む、、、こんなことを人間はやるのですが、、、、残念!!!!誰も何もしていないのです、、、そのような活動は実は起きていないんです。私が部屋でゲームをするばらば部屋の中の映像だけがこの夢で起きたのです。外の活動は何も起きていないのです。勝手に夢で想像し勝手に落ち込んでいるんです。そんなことはないインスタにはバンバン活動が投稿されている、、違うんです、、インスタという映像だけが夢で起きたです。

夢の映像でいちいち落ち込む必要はない

表参道に行ったらたくさんのカップルを見かけて落ち込む、、、残念!!!!それは夢の映像です、、楽しそうにしている映像だけなんです。それ以上でもそれ以下でもないんです。いやいや人間の形をしている映像ですから、、楽しいという感情は湧いているはずですよ!!!!残念!!!!湧いていないんです、、、湧いていたらこの夢を見ている本人(真我)が気づいているんです。あなた(真我)が気づいていないんだからないんです。

代々木公園に行ったら

夕方代々木公園に行ったらホームレスの人々を見かけて落ち込みました。なんかみんな寂しそうでした、、、、残念!!!!そのような映像があなたの夢で起こっただけです、、、落ち込んでいるという事実はないんです、、それは想像です、、、本当は映像だけが起こったのです映像のみで。夢の中の映像を見て羨んだり落ち込んだり同情したり、、、そうやってこの夢では人間活動が起きています。それが間違っているとか正しいとかではなく事実、真実はそうなっています。

ワンネスに意図はない

意図があるならば、、、

コレは夢です、完全に夢です。この世界はワンネスがみる夢ですが、、なぜワンネスは自我を作り、そして解放に至るのか???そこに意図はあるのか???という話です。結論から言えば全てにおいて意図はないんです、なぜかと言えば、、もしもワンネスに意図があるならば、、、例えば解放を味わいたいという意図があるならばさっさと解放が連発するでしょう。個人という幻想を作りだしさっさと解放に至らせるでしょう。ですが実際にはそのようにはなっていない。

意図がないとなると、、

意図がないとなればではなんのためにこの幻想、夢が起きたのでしょうか????残念ながら、、、これはこの二元の世界、夢の世界の質問なんです。意図を持つという表現事態が夢の中でしかできないですよね、時間という幻想ありきの質問なんです。自分という幻想は意図を持って何かをする、、、という表現が可能ですが、、これがまさに夢の中でのことなのです。夢の中の状況で、、ワンネスの意図があるか???という質問が矛盾しているのです。

空、ワンネス、絶対から現象が起き上がり

空、ワンネス、絶対から現象が起き上がり、、、それによって気づきが起き上がり、、ただ無限の現象があるという気づきが起きました。その気づきの中で私という思考が起き上がることで、、私が何かをしたいが起き上がり、、この無限の現象を体験するという現象が起きました。私が居るという思考が起き上がることで同時に孤独、違和感という思考も起き上がり、、それを無くしたいという思考も起き上がったのです。そして今まさにそれを無くそういう動きが起きているのです。全体が退屈だったとか、神が退屈だったとか、神が無限を体験したいとかいう思考は、、、全て空、絶対、ワンネスの外で起きている現象です。

自分、時間、空間は思考

これは夢です、完全に夢です

毎晩見る夢の中に自分、時間、空間は存在するでしょうか????勿論それらがあるかのように感じることはできますね!!!ですが実際には夢では自分も時間も空間も曖昧ですよね、、、あるのかないのか????よく分からない。それもそのはず、、夢の中では自分って突然起き上がり、、時間も感じるといえば感じるだけ、、空間も伸縮拡大して、、生き物のようですよね!!!そうです生き物のように動いているんですそれらは。つまり夢の中に出てくる友人やペット、恋人やらと全く同じ、、夢を構成するアイテムみたいなものでしょう。そしてそれらは夢ですから全部ないと言えばないんです。

この現実世界でも同じ

この現実と呼ばれる夢でも全く同じなんです、、これが私です、、これが時間です、、これが空間です、、、みたいに固定して保管できるよいうなものじゃないんです。常に神出鬼没に現れては消えていくんです。私を忘れて、時間を忘れて、、空間を忘れて、、何かに没頭するってあるんです!!!その間私、時間、空間はどこに行っていたのでしょうか????実在するならば忘れれるはずないんです。

つまり全部思考です

つまり私も時間も空間もそれがあるはず、、、という思考なんです。私っているよね、時間ってあるよね、空間てあるよね!!!!という思考がこの夢で出現するのです、、たまに。それらの思考が湧いていない時、、それらはないんです。。つまりいつもないんです。あるのは、、、この幻想のみ、、そして五感を通じた経験、思考を感じる経験だけです。これって夜見る夢と全く同じなんです。

時間を感じるって嘘です

コレは夢です、完全に夢です

ラーメンを食べる時に、、、100%ラーメンという映像を経験します。つぎのラーメンの香りを経験します。次にラーメンと食感を経験します、、次にラーメンの味を経験します。次にズルズルという音を経験します。これがラーメンを食べている時に感じることの全てです、、、この経験の中に時間を感じるはあったでしょうか???ないのです。時計を見て「あ、、、五分で食べ終わったな!!!」という思考を感じることはできます。ですがこれは思考を感じただけです。時間とは何分経ったな!!!という思考を感じることなのです。時間を直接感じる、経験することはできないのです。

空間を感じるって嘘です

ここからマックまで歩いて行こう!!!という思考が起こりました。玄関を出て歩いて行きます、、、視界の変化を感じます、、足がアスファルトを踏む感覚を覚えます、、風を肌に感じます、、ラーメン屋の前で香りを感じます、そしてマックに着きました、、マックを映像として感じます。家からマックまで歩いてきたから空間があったなという思考が湧き出てきてそれを感じます。この経験の連続の中で空間を感じるというのはないんです。空間があるはずだという思考を感じることはできますが。

時間と空間というのはあるはずだという思考のこと

人間の五感による活動によって時間と空間があるはずだという思考がただ湧いているのです。全員がその思考を持っているので人類は時間と空間はあるものだという前提の話をします。これによって時間と空間があるという人類共通の幻想が生まれたのです。これは自分という存在も同じです、みんながあると思っているからあることになったのです。コレは夢です、完全に夢です。