真実

悟りを今日から感じる

悟りとは感じるもの

悟りとは頭での理解ではありません、、、思考で理解して、、、それで終わるものではない、、、徹底的な体感です、、、体感ですから五感で感じるもの、、、、今日この瞬間に悟りを少しでも感じたら、、、、次に進める、、、ではどうやって悟りを感じるか????簡単です、、、今この瞬間の満足度が、、悟りの満足度です、、、今、、、こうして部屋を見渡す時の満足度が、、悟りの感度になります。感じるをコントロールすることはできません、、、これが真実です。

寝不足で、、

寝不足が続いている状態で、、、、散歩をする、、、、全く楽しくない、、、なぜならば、、、五感が開いていないから、、、、散歩が気持ちが良い時、、、、五感が間違いなく開いている、、、、ここに注目します、、、散歩が楽しい、、、この状態に体を導きます、、、、散歩だけでも大満足、、、、五感は開き切っています、、、そこまで五感が開いた時に、、真実を受け入れる土台ができます。

全ては全自動で起こる

このメッセージは日常が大変過ぎる人には恐らく届かない、、、、メッセージを飲み込む、、余裕がない、、だから意味がない、、、、体を解して解して緊張を取り除き、、、、幸福度が完全に上がったっ時に、、、、このメッセージが届く、、、、その時、、、、全てが理解できる、、、、自動反応、諸行無常、森羅万象の動きが分かる、、、本当にその通りだ!!!と、、、、それがさらなる五感解放に繋がります。つまり究極の悟りです。

自我OSを必要としない体

守るために、、

この体を守るために、、形成された自我OSですが、、、これに頼り切った状態は基本苦しい、、、、体を守ることはできますが、、、、虚しさ、退屈に、、、常に襲われます、、、、なぜか?????この世界の真実を知らないために、、、全くの勘違い生活をしているからです、、、、、この体があって、、その中に自分が居て、、、この世界を生き延びる、、、、というのは勘違いです、、、ですから目指す先にある幸福が、、、全く違う場所にあるのです、、、、

空を見る

空を見る、、この一瞬の体験を、、、、最高に感じるか、、退屈に感じるか、、、ここが全てです、、、幼少期は、、、、空を見るだけで楽しかった、、、、、ですが今は退屈、、、なぜ??????なぜか?????五感が閉じているからです、、、五感が閉じれば、、、、体験が薄くなるのです、、、、唯一の真実、、、体感に、、、、思考が混ざり込み、、、、ありのままの真実に触れられなくなっています。

思考が混ざる????

思考が混ざるとは???つまりこうです、、、、、、考えながら、、、、カレーを食べると、、、、味がしない、、、考えながら、、映画を見ても、、、集中できない、、、、、、全ての経験は無思考になることで、、、感動が生まれます、、、、この逆転現象が起きているのです。。。。五感が鈍ることで、、、思考が周り、、、思考が回ることで、、さらに五感が鈍る、、、、という負のスパイラルに入っているのです。

退屈な世界???

多くの方がニュースを観てホッとするのは、、、、苦しいのは私だけではない、、、と思えるからです、、、だからニュースには、、、、暗いニュースが多いのです、、、、、ホッとできるからです、、、、ですが本当は、、、五感が鈍り、、、、全ての現象を、、、暗く感じる、退屈に感じる、、、、体になっているのです、、、世界をそう感じ取るのではなく、、、その五感こそが世界を作り出すのです、、、この世界は完全な幻想であり、、、、本当は感じることはできないのです、、、

感じることができない????

そうです、、、本当はこの体も、、、この世界も幻想であり、、、、感じる、、、がおかしいのです、、、ですがこの幻想は、、、、感じるために作られた故、、、、、感じることができる、、、、、無限という存在が、、、無限ということを「感じる」ために作られた世界なのです、、、、退屈も至福も感じることができるのです。

退屈を散々味わったならば、、、、

退屈を散々味わったならば、、、、、もう味わう必要はない、、、、、そしてこの体を健康に健康に導くことことで、、、、五感を研ぎ澄ましていくことで、、、自我OSが、、、大我OSにアップグレードされます、、小周天OSが大周天OSにアップグレードされます。

感覚という魔法

この世界は感覚でできている

健康に気を使う方は気づいていますが、、、この世界は自身の健康、不健康によって大きく見え方が変わります、、こっちの体調で感じ方が180度変わってしまいます。それほどまでに、、、この世界はこちらの感覚が作用します。健康に気を使う方ですらも全く気づいていない事実があります。それはこの世界はこちらの感覚だけで成立しています。決まった世界が先ず存在するのではなく、、こちらの感覚の中でしか存在したことがないのです。

つまり「感覚=世界」

世界が先にあって、、、その上でそれを人間がどう感じるか、、、ではなく、、、、、感じる=世界です。。。ですから、、、どう感じるかが、、、そのまま世界そのものであり、、、、こちらの感覚が全てを牛耳っているのです。。。。そしてもしこの世界が地獄だと今感じているのならば、、、感覚が地獄レベルに落ちている、、だけなのです。。。逆にこの世界が天国に感じているならば、、、感覚が天国レベルに高まっているということです。

感覚が高まる????

五感を高めていきますと、、、そのまま世界は高い世界に移り変わります、、、、五感とは体ですから、、、体の感覚を開いていきます、、、、すると、、、この世界はそのままに素晴らしくなっていきます、、五感で感じるのが世界ではなく、、、世界がこの五感で成り立っているからです、、、、体の緊張を取り除くことで、、、世界の緊張が緩むのです。体が緩み切った幼稚園児は、、「箸が転がるだけで楽しい」が起きます。

真実を知る

この世に蔓延している嘘を見破ります、、、我々人間はこの世に蔓延した嘘によって、、、緊張を強いられる毎日を過ごしています、、、、その嘘とは、、、、自由意志がある、、そしてそれをコントロールする自分が居るという嘘です、、、、これは嘘です、、、、ですがこれを「はいそうですか!」となる人は居ません、、、ですがこれは完全な嘘なので、、、その真実がいつか絶対に分かる日が来る、、、と信じて生きてください、、、「地球はそれでも回っている」、、、、この真実に向かって、、、生きるのです。

五感を取り戻し真実を知ると

五感を取り戻し、、、真実に向かって生きていきますと、、、真実が顔を出してきます、、、真実に気づくことが多くなります、、、、、なぜならば真実は一つであり、、そこが変わることはないからです、、、我々の五感が真実を捉えるその時に向かって、、、五感を開き切っていきます、、、思考は真実ではありませんから、、、あらゆる観念を持ち込みます、、あれはこういう意味では???これはこういうことでは????ですが真実はたった一つ、、、全てが全自動、全反射、ノーコントロール、諸行無常に、、移り変わるのみ、、、これを我々の体は最初から気づいていて、、、ただそれを忘れているだけです。

今の幸福度は、、今の五感力

幼稚園児

幼稚園児は、、、箸が倒れただけで笑います、、これは何が起きているのでしょうか????五感力です、、、彼ら彼女らの感じている全てが大人とは全く違うのです、、、視界に起きた、、箸が倒れるという動きが、、、スーパー立体映像で起こり、、それがたた面白いのです、、、全く違う世界を幼稚園児は見ています、、、大人がどんなに解釈を変えて幼児になった気分でそれを見ても、、、同じような感覚で笑うことは不可能です。

五感力の向上

大人になって衰えたこの五感力を高めるにはどうしたらよいのでしょうか????そのためにヨガ、ストレッチ、マッサージがあります、、、あらゆるツールを駆使して体を鋭敏に戻していきます、、東洋医学では、、これを経絡で考え、、、経絡を解放していきます、、、幼稚園児ぐらいの柔軟さに戻った時に、、大人は箸が倒れただけで笑うのです、、、この状態が悟りです。

五感を舐めてはいけない

五感が全てです、、我々は五感を使った体験しかできません、、、この五感での体験が退屈になった時に、、人は六感である思考を使って思考で遊びます、、、ですが思考が作り出したお遊びは、、、お遊びに過ぎず、、そこには真実に直接触れるという醍醐味がないのです、、、六感に逃げずに、、、五感を充実させるのです、、五感の充実が、、、、虚しさを消滅し、、虚しさの究極の対局である、、悟りが待っています。悟りとは大満足のことであり、、、大満足とは、、今この場所に居るだけで、、、起こるということです。今この場所が大満足でない時、、五感を磨くのが全てです。

体で覚醒する

体だけが真実を知っている

この幻想の世界の中で唯一真実に触れることができるのが、、からだです、、、体だけがこの真実を掴むことができます、、この世界は幻想の世界ですから、、、そこで起こる現象には実は意味がありません。。。無限の現象が起きるだけです、、、意味はないのですが、、、この無限の現象をただ感じているだけで本当は我々は至福に居るはずなのです、、、目の前に至福(現象)が揺れ動いているのですから、、、ですがなぜかこれが退屈に感じる、、、なぜ????五感が鈍っているのです。

五感が鈍ると、、、

五感が鈍ると、、、真実に触れているようで触れていない状態になります、、、借金1億円をしてしまった、、、その時にコーヒーを美味しいと思えるか????恐らく頭は思考でグルグルになり、、全く味を感じれないはずです、、、これが人生においてなっているのです。。。思考に乗っ取られ、、五感が全く働かない状態に陥っているのです。

五感を覚醒させる

五感を覚醒させていきますと、、、ただそこに居るだけで気持ちが良い、、、が起きます、、、なぜならば感じているからです、、真実を、、、そこを追求します、、、、思考という刺激物に頼らなくなります、、、思考よりも、、より体を覚醒しようという動きが起きます、、、ヨガ、ストレッチ、水泳、、、なんでもいいのですが五感を開いていきます、、、そして本当に開ききったと時に、、、思考という罠、マジック、妄想が邪魔になってきます、、その先の真実に触れたくなります、、、これが悟りへの誘いです。

悟りに興味がでる

悟りに興味が出るのは、、、、感じているからです、、真実を、、、真実を感じているから、、、もっと真実を知りたいが起きるのです、、、この衝動は、、、真実に触れていないと起きません、、、真実が誘ってくるのです、、、ここに真実があると、、、ここで思考を使ってもダメです、、、思考とは真実を隠すものだからです、、、思考に入らずに、、、体をより覚醒させていくのです、、、感じる力をマックスにしていきます。

体から入る

五感力

五感力とは何か???五感の感度です、、、この感度が落ちますと、、、、この幻想の世界での体験が薄まります、、、この幻想の世界では、、、体験しか、、真実に触れる方法はありません、、、ですから、、、この五感の鈍りとは、、、真実の軽薄、、、真実の虚脱のことなのです、、、真実が虚してしまった世界、、、それがこの世界を苦しみの世界に閉じ込めます。

歳を取ると

歳を重ねますと、、五感が鈍ってきます、、つまりこれはこの世界から真実が消え去ることと同じです、、、真実との接点が減るのです、、、真実はいつでも今目の前にあります、、、ですがこの真実に触れることができなくなります。真実はここにあるのです、、ここに触れるには五感を開く以外にありません。六感である脳は、、思考を作り出します、、、我々は思考を生み出し、、、思考の中で体感するという能力を生み出しました、、ですがこの中の体験は五感が働かず、、満足になりません。

昨日一日中思考して大満足だった、、、

こんな話を聞いたことがありません、、、思考だけして大満足にはならないのです、、、思考はあくまで刺激、妄想のみ、、、これは満足とはほど遠いのです、、、満足は真実に触れた時のみに起こるのです、、悟りとは大満足の世界、、それは真実そのものと常に触れるからです、、思考という刺激物に頼らない生き方ということになります、、思考はいつでも誘います、、思考の世界に、、、そこに乗らない、、、インスタントな快楽に乗らない、、、これが重要です。

思考では解決はない

人類の歴史が証明している

こう考えれば、、、人生が楽になる、、、という正解があるならば、、、学校の教科書にそれは載るでしょう、、国連の第一条にそれが載るはずです、、、、ですがそんなものはない、、、ノーベル賞受賞者という視座の高さをもってしても、、、、幸福になる方法を人類は発見できていないのです。。。。なぜか?????思考そのものが、、、、虚しさを作り出す真犯人だからです。

言葉を強制的に覚えさせられた、、、

人類を発展させた立役者、、言葉、、、この言葉こそが、、、、人類を同時に虚しい世界に閉じ込めたのです、、、先進国とは、、、言葉で文化を発展させた国ですから、、、虚しいのです、、、、どこまでも虚しいのです、、、、言葉は想像、、虚構の世界を作り出すのです、、、、ここは虚しい世界なのです、、、

体の感度を高める

体の感度を高めますと、、、体験というこの世界唯一の現実、真実を感じることができます、、幻のこの世界で唯一の真実、、それが「感じる」です、、、これ以外は全嘘です、、、この感じるが増えていきます、、感じる密度が上がります、、、感じるが思考を超えます、、、感じる時間が増えます、、、、すると虚ではなく実が増えます、、実(真実)が増えていきます、、、充実が増えます、、、、最後は充実そのものになります。

なぜ独り言を言うのか???

楽しいから

なぜ人は独り言、考え事、思惑の世界に入り込むのか????楽しいからです、、、思考の世界、虚の世界を作り出し、、、幻想にふけるのです、、、擬似体験です、、、動く必要なしに、、、擬似体験を楽しんでいるのです、、面倒だから、、、思考して楽しんでいるのです、、、全員が思考中毒というドラッグ中毒になっています、、、、

思考は思考で価値がある

思考は思考で疑似体験を想像できます、、、ですがここには五感を使った体験がないので、、、真実に触れることができません、、、、思考により疑似体験は真実に触れる機会がないのです、、、ゆえに、、楽しくても満足感がありません、、、楽しくても充実感がないのです、、、

体の感度を高めて、、自然と体感にシフトする

思考中毒者の特徴は体が閉じているということです、、、体が閉じているから、、、体験が楽しくない、、充実感がない、、、だから思考に逃げます、、、、体感を楽しめない体にしてしまい、、、そのせいで思考に逃げます、、だからこそ無理くり体を開きます、、、体を開き切っていきます、、、つまりヨガ、ストレッチ、マッサージなどで、、感じるを永続させるのです、、、感じれば感じるほどに五感が開いていき、、、体験が勝手に楽しくなるのです、、感じるが楽しくなります、、、、即充実になります。

分かった

誰も彼もいない

全部が全部自動反応ということは、、、自己というものが完全に皆無な状態でただ何かが起き続けています、、、ただの反応ですからそこには何の意味もなく、、、海の中で何かドラマがあるように見えているだけ、、、魚が海藻を食べ、、その魚を大魚が食べ、、その大魚をアザラシが食べ、、、があったとしても本当はそこには名前はありませんから、、、そう見えているだけ、、、自己という存在無しに完全に動きがあるだけです、、そして厳密には動くというよりも、、、変化があるだけ、、、だから時間も全く存在しません。

自己という活動が起きている

自己意識という活動だけがあり、、、それ以外は何もありません、、、本当は強い意識という実在はありませんからそのような活動が幻想として起きます、、、真実は、、、ただ変化があるだけです、、、そして経験と、、、自己意志というのは本来一緒にはできませんから、、、、ただ感じる感覚だけが起こり続け、、ただ自分がいるという思考が起こり続けます、、、本当にこれだけが起きています。

私が居るという思考が起き続ける

何かを食べている時に、、、自分という存在を感じることはできません、、舌がスープに触れた瞬間、、味覚が広がります、、この時点では自分は居ない、、その後「私が食べた」という思考が湧く、、、ただそれだけ、、、本当は感じるという経験しか起きていない、、、この体は感じるマシーン、、そしてこの体は確実に幻想です、、、この体という幻想が、、、ただ感じるを起こし続ける、、、本当にそれだけです。

でも幸せ

自分が居ないならば、、、幸せになれないのでは???虚しいのでは?????大間違いです、、、自分が居るから虚しいのです、、、自分が居ないにも関わらず「居る」と思うから、虚構が生まれ、、、虚しい世界が誕生します。我々人類は言葉を発明したことで、、、想像という行為を覚え、、、想像=虚構を作り出したのです、、この世界の住人である虚構が生まれ、、、虚の世界、、、虚しい世界に住むことになったのです。

何をすればいいのか????

言葉が作り出した世界が、、虚構であることを完全に見抜くことです、、、言葉は虚構を作り出す道具に過ぎないことを見抜くことです、、、すると世界から深刻さが消えます、、、みんな深刻に深刻にこの世界を捉えていますが、、、この捉えるという思考の活動こそが虚しさの原因です、、、本当は真実しかここにはなく、、真実は静寂、生命、平和でしかありません、、、、この土台の上に今まさに言葉で作った虚構の世界をでっちあげ、、、虚しい虚しいと嘆いているのです。。。。

五感という充実

充実=五感

漢字とは非常に面白い、、、充実という言葉は、、、、、実が充ちた状態と書きます、、、なんという気づき、なんという答え、、、、、実とは何か???????実とは、、、真実、、、です、、、、虚の反対語、、、、、では虚とは何か?????虚とは、、、、、、真実ではないこと、、、真実ではないこと、、、この世界で真実とはたった一つしかありません、、、それは、、、、体の感覚だけです、、、もっといえば感覚だけです、、、これだけが真実です、、、残りは全て、、、虚です、、、、、、感覚=実、、、、五感=五実、、、となります、、、充実とは、、、、実が充ちることですから、、、、五感が充ちることです、、、、五感を使った経験を増やすと、、、充実します、、、、これが減ると、、、、虚しくなります、、、

なぜこんなことを言われたのか?????

なぜこんなことを言われてしまったのか????考えるのは時間の無駄です、、、虚の世界に入り込みます、、、擬似体験の世界です、、、五感で感じれない世界です、、、、時間の無駄、、、虚しくなります、、、あなたが言われた言葉は、、、その人から勝手にでてきた言葉です、、、それについておれこれ考えるのは時間お無駄、、虚に入ります、、、、ですがもっと俯瞰すれば、、、虚に入ること擬似体験をして楽しんでうるのですからそれも悪いことではない、、、、ですが本当は、、、より五感の世界に入った方が良い、、、体を健康にすると、、、五感を使った活動をし始めます、、、体は全部知っていますから。

健康になるだけで、、、

体が健康になりますと、、、五感を使った活動を勝手に体が起こします、、、五感を使った方が充実することは体は完璧に分かっています、、、ですから、、、ただ体を健康にするように導けばいいのです、、、悟りとは五感です、、究極の体感です、、、、ですから、、、、体を健康にして五感を完璧にし、、、、真実に多く触れ続け、、、本当の真実をありのままに感じることができた時に、、、目覚めます、、、、ありのままの真実を五感が感じることが悟りです。

真実を最初に知ってしまう

悟り本のメリットは真実を最初に言葉で知ってしまうということです、、、、真実はこうなっている、、、、それが分かれば、、、、あとはひたすらにこの現実でそれを発見していきます、、確認していきます、、、すると、、、思考、感情、行動に振り回されないことに気づきます、、、、健康になります、、悩めなくなります、、、五感を使った活動時間が増えていきます、、、この延長線上に本当の悟りがあります、、、真実を五感で感じるが起きるのです。