時間

マリオゲームは2時間、人間ゲームは16時間が限度

プレイヤーはゲームが終われば夢から覚める

プレイヤーがマリオゲームに熱中している時はマリオになり切っています。自身がまるでマリオであるかのように感情丸出し、思考丸出し状態です。悔しがり、喜び、歓喜に狂い、マリオに成り切ります。ですがゲームに疲れてゲームを辞めれば元の生活に戻ります。マリオになり切っていた自分からプレイヤーに戻ります。とはいえマリオはどうか?もしもマリオに人格があるとすればマリオは常にゲームの中です。マリオが我に帰ってゲームをやらないという選択肢はありません。マリオとはゲーム進行中しか存在できないし、ゲームが始まればマリオの選択肢は大冒険を続けるのみです。マリオと大冒険は常にセットです。マリオとはゲームの中でしか意識を持てない存在なのです。

神は人間の熟睡中は夢から覚める

一方この人間ゲームはどうなっているか?人間ゲーム絶賛活動中、神は人間になり切っています。神などこの世にいないかのように人間になり切ってゲームを遂行します。そして夜が更けて疲れてきた時に人間は熟睡と言って意識を失います。この瞬間神は神に戻ります、人間ゲームに疲れた神は神に戻るのです。TVゲームは2時間ぐらいで疲れ果てプレイヤーは我に帰りますが、神は人間ゲームを15時間ぐらいして我に帰ります。そして人間8時間の睡眠の後また再び神は人間になり切ってゲームがスタートするのです。人間の記憶装置が機能して私は〇〇太郎であるという感覚が戻ることで意識ががっつりここに焦点が合わさるのです。人間になり切った神の完成です。朝は意識が朦朧としますが神意識から人間意識へのシフト期間です。マリオゲームスタート時にプレイヤーがジャンプ練習などをする期間です。

悩みが多すぎると、人間意識から神に戻れない

神は人間活動中にあまりに多くの悩みを抱えますと、意識が人間に集中し過ぎて神に戻れない状態になります。思考がグルグル回り過ぎて人間意識が解除されないのです。そんな時は人間はお酒などを飲んで脳を麻痺させて思考を強制遮断し人間意識から神に強制帰還させます。神にとって人間に意識を合わせている期間は居心地が悪く疲れます。全知全能の神が無知無能の人間になり切っているわけですから当然です。記憶を使い私は人間であるというストーリーに入り込み続けるのは、人間がゲームキャラに成り切る、映画の主人公に成り切るのと同じです。人間は2時間ぐらいでゲームも映画も疲れ果てて辞めます、それはそこに意識を合わせ続けるのはパワーが必要だからです。本当はゲームキャラでも映画主人公でもないからです。

神が見る夢の中での時間あるなし問題

時間はある、ない、、禅問答

これは夢です、神が見る夢です。神が人間に扮する夢です。さてスピリチュアル探求者、悟り探求者の中で必ず話題になるテーマ、時間について今日はお伝えしたいと思います。結論から言えばこれは夢ですから時間はあると言えばある、ないと言えばないとなります。夢ですから。あなたが毎晩見る夢の中で時間は存在するでしょうか?ストーリー展開としては確実にあるでしょう。ですが本当にあるのか?と言われれば夢ですから実態はないと言えます。時間とはそのようなものです。夢の中であなたが富士山に登る、その時時間は存在するでしょう、ワープを使わない限り。ですがその時間とは夢の中で存在しますから無いと言えば無いのです。我々が現実社会、現象界と称するこの世界は神が見る夢ですから時間はない、あるどちらも言えます。人間目線であれば勿論時間はあります、ですが神目線で見れば夢だからないということになります。

空間はある、ない、、禅問答

空間についても議論が多く出る問題です。これも夢で考えれば簡単です。夢の中に空間は確実に存在します、空間がなかったら主人公も、脇役も誰も登場できないです。昨晩あなたな見た夢がサッカーをしている夢ならば球技場が絶対に必要になるでしょう。だから夢の中では100%空間はあります。ですが夢です。そしてこの現実社会、現象界は神が見る夢です。人間(主人公)にとっては空間は確実にあります、ですがこれは夢の中での空間ですから主人公(私)が見る視界以外には空間は存在しません。私(主人公)が見ていないところでは空間はあるはずがないのです。夢ですから。

自由意志はある、ない、、、禅問答

自由意志についても議論が多く出る問題です。この自由意志はあるのかないのか問題はスピリチュアルの究極問題、悟り系探求者の究極問題です。ですがこれも神が見る夢だという認識を持てば簡単です。神が見る夢ですからそこに出てくる登場人物(主人公)、脇役に自由意志があろうはずがありません。ただし主人公になり切っているのも神ですから神目線では当然にあるということになります。主人公(人間)になり切っている神目線であれば自由意志は確実にあります。ですが人間目線で言えば当然ないということになります。夢ですから。

時間の中で至福に至ることはない

時間とは夢の世界のこと

時間とはこの夢の世界の中でしか存在できません。時間とは記憶の世界、夢の世界でしか存在しないものです。夢の中にいるときに時間は存在します。夢から外れることができれば時間は存在しません。大いなる一つが夢を見ている、それがこの現象界です。時間の世界です。大いなる一つが人間という有限の存在と錯覚することからこの夢物語はスタートしますから不足感、欠乏感は常に湧き出てきます。人間という存在は時間の中にしか存在できません。ゆえに時間の中で至福はないのです。

将来幸福になるは不可能

多くの努力する人間の目標とは将来幸福になりたいです。幸福とは将来成し遂げるものであり今は幸福出なくともいつか幸福になる、これがほとんどの人の目標設定です。ですがこのほとんどはその目標を達成することができません。それは幸福とは時間軸の中で達成できるものではないからです。時間軸の世界は夢の世界のこと、夢の世界に存在する人間は=不足感製造機なのです。不足感製造機が将来幸福になることは絶対にありません。不足感製造機である人間が幸福になるためには人間であるという錯覚を解く以外にないのです。

時間から外れる=至福

時間の中に生きている状態で永遠の至福を手に入れることは絶対にありません。時間の中で手に入れることができるのは一時的な快楽としての幸福でありそれは時間の中で失われます。本当の至福とはこの時間から外れることであり夢から覚める以外にありません。時間を超えたところに戻る以外にないのです。そこで重要になるのはこの思考です、思考は自身を時間の中に閉じ込めるツールであり思考を使えば使うほどに時間の中に閉じ込められることになります。思考とは自我です。自我とはこの心身こそを自分自身と勘違いする思考であり思考を使うほどに自我は強化されます。

無心になって取り組んでいたら時間があっという間に経っていた

無心=全存在=時間はなくなる

無心になって物事に取り組んでいたらいつの間にか2時間以上経っていた、、これは何が起こったか?それは無心になることで自我が消えてなくなりその瞬間に全存在になっていた、結果時間がなくなったということです。無我夢中になっていると時間が経つことを忘れると言いますがこれは間違い、時間がなくなったのです。海、全存在には時間がありません、時間があるのは分離意識の世界、海ではなく波、全存在ではなく分離した人間の状態の時です。分離するとそこには空間、距離が生まれます、すると空間から空間まで移動するために時間が生まれます。ですがこれは海の世界、全存在の世界では空間、時間はありません。移動がないからです。

やりたくないことを嫌々やっていると時間が経つのが異常に長い

やりたくないことを嫌々やっている時、時間が経つのが異常に長く感じた経験はないでしょうか。これも当然のこと、思考全開、感情全開、自我全開の世界は無我、ワンネス、全存在であることを最も忘れている状態、、これは不足感、欠乏感、飢餓感全開の状態なのです。究極の時間、空間の世界が広がります。

何かを成し遂げた達人がエゴまみれ、自我まみれに陥るケース

有名ミュージシャンである小室哲哉さんが借金を重ね最終的には詐欺で捕まった事件がありました。あれだけでの音楽家ですから音楽の制作過程においては無心になって無我夢中になってつまり究極の至高状態で作品を制作し続けたはずです。何よりも音楽活動自体を楽しめ活動に専念すればするほどに無欲なっていくはずなのに彼の場合は結果逆の状態にお金を湯水のように使いさらに借金、詐欺と無限地獄に陥りました。これを自我・無我理論で説明すれば簡単、無我夢中、無心で作った音楽活動で得た成果を自我が悪用した結果になります。莫大な収入、地位、名誉を自我が不足感解消に使い続けたわけです、ですがこの自我の不足感が解消することは絶対にありません、つまりどこまでも使い切り最後は無限地獄に陥りました。彼は音楽活動以外の活動時は自我全開、不足感全開状態になってしまったということです。音楽活動で得たはずであろう無心の境地、無我の境地をその他の生活に応用できず、圧倒的に分離した人間活動に利用されてしまったことになります。