ワンネス

武道館を満席にしても、死を選ぶアーティスト

ミュージシャンの聖地、武道館

私は音楽のことはあまりよく分かりませんが、ミュージシャンならば武道館を満席にするのは大きな目標の一つのようです。日本でも武道館でコンサートをやることを目標にするミュージシャンは今でもたくさんいます。そんな武道館で単独ライブをやった後に謎の死を遂げたミュージシャンがいます。X JAPANのHIDEさん、彼は武道館を満席にするような偉業を成し遂げた後ホテルで死を遂げました。これを悟りの観点から紐解きたいと思います。

人生最大の目標を達成してなぜ死を選ぶのか?

スポーツ選手ならばオリンピック金メダル、メジャーリーガーならばMVP、ミュージシャンならば武道館、俳優ならアカデミーショーあらゆる分野ではその道のトップと称される舞台があります。この舞台でトップになることを目標に日々研鑽していきます。もしもそれを成し遂げられたならば人生史上最高の幸福がそこにはあるはずだと信じて。ところがこの夢の構成上そうはならないのです。金メダルも、MVPも武道館も一時の達成感のみ、至福感のみ、安堵感のみです。心には毎日のように穴が空いていきます、幸福がそこから抜け落ちていきます。人間というこの夢の登場人物には至福という永遠の幸福を手に入れることはできないのです。人間は時間という枠の中でしか生きることができずそこには至福(時間の影響を受けない)はないのです。あるのは全て時間限定の幸福です。

夢の中で至福を信じる人間

これは夢です。ワンネスが見る夢です。この夢の中で登場人物が至福を得ることはできません。なぜならば至福とはワンネスのことでありワンネスが見る夢(分離現象)の中ではそれはないのです。独立した個人(登場人物)の存在こそが至福を遠ざける存在でありその存在が一生懸命努力を重ねても手に入れることができるのは夢の中での代替品に過ぎません。それらは全て時間の影響を受けやがて消え去ります。これは絶望ではありません、この夢は至福(ワンネス)が至福以外を体験するために作られたディズニーランドなのです。だからそこで至福を対象から手に入れようとする努力は尽く壊されます。

スーパースターになれない、、夢の中での挫折

子供の頃は全員がスーパースターになれると思っていた

子供の頃は全員が何かしらのスターになれると信じています。男の子ならばスポーツ選手、歌手、アーティスト、、女の子ならばアイドルや、お姫様、、などですが小学校5・6年生ぐらいになると徐々にわかってきます。どうやらそれは難しいと。言語が理解できてきて世の中のことを認識できるようになるともうそのような夢を語る子供がいなくなってきます。現実?的になってくるのです。

実はこの夢そのものだった

子供の頃は大きな目標も持つと、「そんな夢みたいなこと言って」周りから揶揄されるようになるのですが実はこの現実そのものが夢です。この現実こそがワンネスが見る夢です。夢の中で少年は自身(ワンネス)を思い出しそこに戻りたいと語っていただけなのです。何という逆転現象、子供は自分がワンネス(全て、完璧)だったことを覚えていてこの夢の中で事実(ワンネス)を語っていたのです。夢を見ているのは分別があるとされる大人(ワンネスを忘れ去った)の方です。

夢の中での挫折は違う形になっていつか叶う

大人になってからスーパースターになりたいと思う人は稀でしょう。もうそんな欲求はとうに打ちのめされて忘れているはずです。ですが大人になってからの夢はもっと壮大で現実的です。それはこれが夢だと分かることだからです。これが夢だとしたらそれを見ている張本人こそが自分だという気づき、スターではなく創造主だったということ、スターでははなく神だったという気づきです。錦野旦にはなれなくてもワンネス、大いなる一つに戻れます。

「神との対話」の衝撃

あの本で全てが変わった

私が30歳の時に初めて「神との対話」に出会いました。この本は神と、作者の対話から構成されているわけですが作者が抱くあらゆる疑問を神が明快に答えていきます。その答えはこれまで欲しかった全ての答えでした。自身の奥深くが追い求めていた答え、思い出す感覚、発見ではなくあくまで思い出す感覚に感動したのを覚えています。人間の最終ゴールはどこにあるのか?それまで自己研鑽し人間の進化向上に答えがあると信じてきた自身にとって自身が実は創造主であったという答えは力が抜ける思いでした。

「神との対話」も夢の中で現れた

神との対話に真実が全てあるとは思っていません。「神との対話」という本がこの夢の中で現れました。そこに出てくる「神」は私の夢の中で「神」というキャラで現れたわけです。ワンネスがワンネスが作った夢の中で「神」という登場人物を作ってこの夢にスパイスを与えたわけです。ではなぜ夢でワンネスがわざわざ夢の種明かしをするのか?それは夢から覚めること以上の感動はないからです。夢から覚めることこそがこの夢最大の歓喜です。

本屋では隅の隅に置かれている

精神世界の書籍は本屋の最も奥の奥、目立たないところに置かれています。特に悟り系の本は最も奥、目立たないところです。悟り系の本が店の入り口に平積みになることはないでしょう。それほどまでに人気がない本、それが悟り系です。それはそのはず生まれてすぐにこれらの本に興味を持ってしまったら生まれてきた意味がありません。学校の授業でこれは夢だから。。と講義があっては真剣にその他の授業を聞けるわけがないのです。何一つ真剣にことに当たれません。受験勉強も部活動も、就活も婚活も、、真剣にできなくなってしまいます。悟り系の本は真剣に人生を生きこの先に至福がないことを悟った人が行き着く場所です。

それでも生命(ワンネス)は完璧に夢を表現している

夢(生命)に優劣はない

あなたが昨日見た夢と一昨日見た夢、どちらが優れていると言えるでしょうか?恐らく言えないはずです。もちろんどちらが楽しかったか、愉快だったか、と比較することはできます。ですが優劣の判断はできないはずです。これはこの夢、ワンネスが見る夢でも同じこと、起きる状況に優劣はありません。ただ生命(ワンネス)が完璧に起こしています、この夢を。例えばコロナや戦争、これも生命の完璧な現れです、そこに優劣はないのです。コロナや戦争を危惧するなということではありません、それを完璧な生命の現れと理解することでそこから余裕が生まれます。深刻さが薄れてきます。

ニュースに右往左往するのは夢に没入すること

TVをつければあらゆる悲惨なニュースが流れていますがこれも生命(ワンネス)の完璧な現れです。ワンネスが見る夢です。そこに理由や根拠、今後時代がこうなるのでは?という危惧を加える必要はありません。ただそのようなことが起きた、夢の中で、それだけです。ワンネスがなぜそのような悲惨な事件を起こしたのか?ということをあえて深掘りすればワンネスはワンネスのままでは完璧、平和、安堵そのものでありそれ以外を経験できません。そこで夢(現象界)を作り不安、危機、困惑、孤独、不足、怒りを経験したかったのです。これは真反対の経験を積むことで完璧、平和、安堵の偉大さを知るという壮大なゲームです。

完璧を体験するには不完全を体験するしかない

完璧であるワンネスが完璧を経験することはできません。そこでワンネスは夢の中で不完全(人間)を作り不完全を経験することでそこから完璧を思い出すというゲームを思いついたのです。自身が不完全であれば完全を思い出すことができる。マリオをスーパーマリオ(夢)で操ることで人間の偉大さを思い出すようなものです。マリオは思考することも、寝ることも、起こることも、笑顔を作ることもできません。そんなマリオを操ることで人間って実は凄いと再確認できます。ワンネスも人間になりきることで再びワンネスの偉大さを思い出します。

夢の中での主人公の行動に因果は働くのか

働くが起きれば働く、働かないが起きれば働かない

これは夢です、ワンネス(一元性)が見る夢です。夢ですから主人公(私)の行動が夢に影響を与えると言えば与える、与えないと言えば与えないということになります。毎晩あなたが見る夢を思い出してみてください、そこで活動する主人公の行動は夢に影響を与えているでしょうか、与えるを許可するかしないかではないでしょうか?許可を与えているのは誰か?夢を見ている張本人です。

夢の中ではワンネスの許可なく独立して動く者はいない

これは夢です、ワンネスが見る夢です。夢の中でワンネスの許可なく独立して動く存在は絶対にいません。あり得ないことです。ですからあなたの行動も、友人の行動も、周囲全ての行動も全てワンネスの許可のもと行われています。主人公(あなた)がいかに自由闊達に意見を述べようと全部それはワンネスの許可のもと行われているのです。ですからそういう意味では自由意志はないのです。

夢の中ではワンネスが全てを決めている

あなたの見る夢はあなたが全部を決めているように、ワンネスが見る夢ではワンネスが全てを決めています。だから何も悩まなくていいのです、もしもあなた(主人公)が投獄され、倒産し、闘病になってもそれもワンネスが決めています。あなた(主人公)には何も責任がありません。責任のとりようがないのです。あなた(主人公)が犯罪を犯し重刑に処されても実はあなたにはそれしか選択肢がなかったのです。もちろんその時にはあなたに選択肢があるような錯覚はあります。確実に自分で決めてそれを行っているはずです。ですがそれでも選択肢がないのです、これはワンネスが見ている夢ですから。

この苦しみを終わらせることができるのは思考だと言い張る思考

今のこの苦しみ解決は思考に任せろと主張する

これは夢です、ワンネス、大いなる一つが見ている夢です。この夢の中に自身がいるという錯覚からこの夢物語はスタートしますがこの夢物語、ここに居るだけで基本苦しみが湧いてきます。湧くように設定されているのです。そしてこの苦しみをいかに解消するか?そこで出しゃばるのが思考です。我こそがこの問題を解決できるぜよ!と主張し問題解決に手を挙げて立候補します。結果思考が主導権を握り表面上は問題が解決されていきます。ところがです、また不足感、欠乏感、孤独感が湧いてきて次なる問題が発生するのです。そこでまた手をあげるのが思考です。前回は我こそが問題を解決した、今回も我に任せよ、そう主張して前回の実績を掲げながらさらに前倒しで主張してきます。結果この思考が大活躍してまたしても問題解決を図るのです。ところがです、またしても欠乏感、欠落感、孤独感が湧いてきて次なる問題が、、、、こうして人間の苦悩は延々と続くのです。

思考に問題解決を委ね続ける限り苦しみのループからは抜けれない

思考に問題解決を委ね続ける限りなぜ苦しみが解決しないかと言えば問題の本質を完全に見失っているからです。不足感、欠乏感が湧き出るメカニズムこそに思考がガッツリ絡んでいるのです。我こそがこの心身なりという思考、この思考こそが苦しみを沸き続けさせる根源です。この根源である思考が問題解決のためにフル回転する限り根元のメカニズムが解体するわけがないのです。問題が起きた時に思考に頼らない、むしろ一切の思考を使用しないで解決する方法を考えます。それが同じ動作のルーティンです。同じ動作、作業を繰り返すことで問題を解決させていきます。思考の出る幕を最初から遮ってしまうのです。

例えばダイエットであれば、、、

例えば体型にコンプレックスを抱く方は、、一日中ネットサーフィンをして自分を解決してくれる情報を漁ります。来る日も来る日も自分の問題を完璧に解決してくれるだろう情報を探し回るのです。思考フルスロットル、思考全開でこれらの情報に触れ続けていきます。結果そのような問題解決に至ってもまた新しい問題が湧き出てくるわけです。そうではなく1日30回ストレッチをすると決めて思いついたらやるを繰り返していきます。気づいたらストレッチ、気づいたらストレッチです。こうすることで一切の思考に頼らずに無心に入っていけます。どんなルーティンで今回の問題を解決するか?これを基本に問題解決を図るのです。思考を問題解決に最初から参加させない、これがポイントです。無思考な状態(至幸)で問題解決を図れば途中段階も至幸になれるということです。

自我の完成は強烈なストレス生活の完成

自我が完成しストレスフルマックス

これは夢です、ワンネス(気づきの存在)が見る夢です。この夢を夢たらしむ存在、夢にとって絶対的に必要な存在、それが自我です。自分(自らを分ける)とは全体からの分離のことでありそれを維持するシステムこそ自我です。自我がなければこの夢物語は維持できません。自我が崩壊すればこの夢から覚めます。自我は幼少期、思春期、社会人、成人と、、、社会的役割が増えていくに従い強化されていきます。自我の完成とはストレス生活の完成なのです。本来は広大無辺である存在がこんな小さな体に閉じ込められ思考すらもその中に存在すると勘違いすることで不足感、欠乏感、孤独感を生み出すストレス発生装置なのです。

会社に行けば思考を使わなくていい

なぜ学校に行き、なぜ会社にいくのか?人間がなぜ起きている時間のほとんどを何処かに所属しそこで言われた仕事を、勉強内容をこなすことに費やすのか?それはそのほうが思考を使わなくていいからです。思考を使えば苦しくなります、そのため思考を使わなくてもいい環境に身に置くことを自然と覚えます。その究極の場所が会社です。朝から晩まで基本的にやることは決められていていかにそれを正確にこなすかを求められます。分業制になっていて其々が得意な業務に専念できる場合もあります。そういう意味では会社は人間のストレスを軽減してくれる場所とも言えます。

思考の暴走を自身で抑えることが出来たら

人間は考えれば考えるほどに自我が強化され先ほどの理論で苦しくなっていきます。思考フルマックス=ストレスフルマックスです。思考フルマックス=自我全開=夢没入=無我消滅=ストレスフルマックスです。思考の暴走がこの夢物語での快適不快を決めるのです、だとしたらいかに思考を止めるかです。何かに没入することでこの思考は止められますから基本人間の行動をルーティン化していきます。考える必要性をなくしていき決まったルーティンの軸を作っていきます。茶道、書道、剣道のように決まったことをルーティンでこなしていきます。反復することで何かを成し遂げていきます。すると無思考、無心、無我の感覚に自然と入れるようになっていきます。無思考、無心、無我とは大いなる一つ、ワンネスの状態、つまりこの夢から覚めた状態です。

強烈なストレス、、、それは夢だと気づくチャンス

毎晩見る夢でも絶対絶命の危機は夢から起きるチャンスのはず

あなたが毎晩見る夢の途中で、、絶体絶命の危機、強烈なストレス的状況、、、これは夢から覚めるケースあるはずです。夢から覚めちゃう時って、、幸福の極みではなく、、ストレスの極みが多かったりしないでしょうか。これって自我が強烈に緊張し、、緊張の極みから、弾ける、、陰が転じて陽になる、、陽が転じて陰になる、、自我が緩んで我(ワンネス)に返る。夢の中に自分から、、、、自分に返る。。。こんなメカニズムです。

この夢、ワンネスが見る夢でも、、、

主人公である私が絶体絶命のストレス状態にある時、もうどうでもいい、、こんな人生なんて終わってもいい。。こんな状態のとき、、自我が壊れてきています。強烈なストレスのエネルギーで自我が壊れる、、、これって要はワンネスが見る夢劇場が壊れる瞬間です。夢から覚めワンネス(主人公としての)がワンネスに戻る瞬間。主人公を主人公たらしむ自我がこの夢劇場のストレスで歪みが入り、ヒビが入り、ワンネスに戻る。

とは言え簡単にはいかない、、、

強烈なストレスがかかった時に自我にヒビが入ります。この心身こそが自分自身であるという思考を支えるエネルギーが弱まります。自我はそのまま崩壊するか、その状況を逃げるか、、、勿論逃げるケースが圧倒的に多い、、それが引きこもり、不登校、転職、廃業、など今までの行動を辞める自我の働きになります。ですがその逃げ場もなかった時には自我が崩壊しワンネスに戻る、、夢から覚める、、これが一瞥体験、気づきの一瞥、覚醒体験と呼ばれる多くです。

一生忘れられないような嫌味を言われても、、

夢の中での発言を気にするのはおかしい

これは夢です。ワンネス、大いなる一つが見る夢です。この夢の中であなた(主人公)が他人(脇役)から一生忘れられないほどの嫌味、悪口、暴言を言われてしまったとしてもそれも夢の中での出来事です。そうしたのはワンネスです。脇役(他人)に何の自由意志もありません。だからこそムキになって言い返す必要はないのです、もちろん思いっきり言い返してもいいのです。ですがどちらも夢の中での出来事です。半沢直樹よろしく三倍返しにしても大丈夫です、ですがそれも夢です。

命を狙われたら

何かとんでもないトラブルに巻き込まれて命を狙われてしまったら、、、迷わず警察に通報してください、、、夢ですがやっぱり痛い思いはしたくないですよね。夢ですが痛覚はガンガンにあります。刺されたら強烈に痛いです。夢ですが。五感は全開です。夢ですが飲み屋で人に絡めば普通に殴られます、、、そして痛いです。夢ですが路上で猥褻行為をすれば普通に捕まります。そして普通に留置所に入れられます。

夢ではあるが、、五感全開

これは夢です、、夢だからといって全く寝ないで仕事したり、、長距離を無理して歩いたり、、三日間食事をしないなど無理をすれば普通に疲弊します。この夢はスーパーリアリティーショウ。五感全開です。自ら不快なことをする必要はないのです。

「自由意志はない」は本当?

夢の中のキャラに自由意志はあろうはずがない

これは夢です、ワンネス、大いなる一つが見る夢です。この夢のキャラに自由意志はあるのか?という話題はこのスピリチュアル業界では常に話題の的です。結論から言えばキャラには絶対に自由意志はありません。あなたが毎晩見る夢であなたの許可なく自由に発言する脇役、主役が存在し得ないようにこの夢、現象界と呼ばれるワンネスの夢において自由意志を持つ者などいるわけがないのです。夢ですから。だか今もこの瞬間に自由にこの文章を書いているこの「私」の自由意志をどう説明するのか?それは簡単です。自由に書いていると勘違いしている人間としての「自分」とワンネスがセットになっているのです。ワンネス即主人公です。主人公はさも自分が全て考えている、動いていると感じています。ただそれだけ。毎晩見る夢で散々やっている「あれ」です。

夢の中のキャラに自由意志はなかったが。。。。

「あなたに自由意志はないんです!!」喪黒福造の例のあのズバババ、、、並のインパクト。一気に自身を失うこの言葉。尊厳はないのか?価値が一瞬にして貶められているようです。ですが安心してください。キャラ(主人公)としては一切自由意志はありませんが制作総指揮(ワンネス)としては主人公の発言、行動どころか全部決めています、脇役のセリフまで全て。今もこうやってブログを書いている私(主人公)の全てを今決めています。だから自信をなくすのではなくむしろ自信をさらにつける必要があるのです。主人公だと思っていたら実は制作総指揮だった。。。というオチ。

自由意志はない、、、

これを書くとブログは一気に人気がなくなると言われています。やはり人間様にこの言葉を伝えるのはご法度なんでしょう。自由意志を取り上げられれた人間に何の価値があるのか?という話ですよね。これはこの夢物語では絶対に言ってはいけないNGワードです。舞台の上映中に主人公が脇役にこの言葉を言ったその瞬間、舞台の他の役者は凍りつきます。舞台中に絶対に言ってはいけない言葉なのです、、最も空気を読めない奴の言葉「あなたに自由意志はない」ですがこれは夢ですから、、、誰にも自由意志はないです。それでも自由意識はない。それでも地球は回ってる。