ワンネス

マリオは敵キャラの存在でキャラ立ちする

敵キャラの存在はこのゲームにのめり込むための道具

敵キャラがいなければマリオはスーパーマリオというゲームにのめり込めません。マリオは本当はゲーム上のキャラでありこのマリオに成り切るためにはどうしても敵キャラが必要になるのです。敵キャラが継続的に現れてくれるおかげでさもマリオが実在しているように感じるのです。まるでマリオが実際に生きているかのような錯覚を持つことができるのです。この地球ゲーム、人間ゲームも全く同じです、あらゆる敵が現れてくれるおかげでさも人間という個人が実在しているかのような錯覚を持てるのです。

あらゆるアイテムもゲームにリアリティーを持たせる道具

スターもキノコ、これらアイテムもスーパーマリオにリアリティーを持たせる道具です。これらのアイテムを手に入れることでゲームに多様性を持たせよりリアルにこのゲームを体感できるように設定されています。本当はマリオは実在しません、スーパーマリオゲームという夢の中にだけ存在します。だからこそあらゆるアイテムを用意することで夢に没入できるのです。さもマリオが実在するかのような錯覚を起こすことができます。

地球ゲーム、スーパー人間はリアリティーの塊

人間が主人公ですからゲーム名はスーパー人間です。このゲームの中で人間は多種多様な敵、多種多様な仲間、多種多様なアイテムと出会うことで圧倒的にリアルな経験を積んでいきます。スーパーマリオの10000倍リアリティーのあるゲームです。GOOGLEグラスというアイテムが出ましたがこの100000倍リアルにゲーム展開します。今後任天堂グラス、PLAYSTATIONグラス、アップルグラス、と様々なゲーム用グラスが売られるでしょうが神グラス、ワンネスグラス、大いなる一つグラスに勝てるものが出ることはありません。

知の権威の自殺は夢から覚めるポイントになる

大学教授の自殺は人間の知がいかに浅いかを証明する

大学は教育機関の最高権威、東大教授となったら最高知能の持ち主ということになります。IQなどで言ったらそれは本当でしょう。ですがなぜ彼らの中に自殺者が出るのか??最高の知性を持ち合わせる人間がなぜこの人生に絶望し死を選ぶのか?人間とは手に入れた知識を自分のものと所有していきます。この所有物が最も多いのが大学教授など知識で食べている人間です。この所有物の量はそのままそれを所有する自分を強化します。自分の存在を確固たるものにするのです。本当はいないのに。これだけの知識を所有する特別な人間様になるのです。この人間ドラマ、夢の中にどっぷりと浸かることができるのです。そしてこの夢にどっぷりと浸かると不足感が湧き出てきて無限地獄に入っていきます。最高権威、最高知識を所有しているにも関わらず無限地獄に突入していくわけです。

そうはいっても大学教授は穏やかな人が多い

実際には大学教授は穏やかです。彼らは勉強、研究を通じて無心、無思考、無我に入れる人が多いです。学ぶことを愛し、学ぶことに無心になって取り組むことでその場でワンネス、大いなる一つになれている人が多い印象があります。知識を得ることを通じて無心、無我を到達している人が多いのです。ですがこの事実を認識できず知識取得、研究結果の優劣に執着し始めますと思考ループに突入し無限地獄に入っていきます。

何かに無心になって取り組める人は気づく

何かに無心になって取り組むことができる方はこのメカニズムを本能的に知っています。取り組むことで得る収穫物よりも無心になって取り組む行為そのものに価値があることを。無心になって人が何かにとり組む時、その瞬間神になっています。無心無我とは人間の形をした神のことです。そもそも人間という独立した存在はこの世に存在せずそれを自分自身と勘違いする神がいるだけです。神が行為に没入することでその錯覚を忘れ神に戻ります。

体の美醜にこだわる理由

体の美醜に執着するのはなぜ?

これは夢です。ワンネスが見る夢です。この夢の中で人間は体の美醜にこだわったりします。ごく一部の女性はそのことで自殺を図るほど悩みます。これについて悟りから説明したいと思います。これは夢ですから本当は独立した体は存在しません。体という独立した存在はないにも関わらず全存在はこの体こそを自分と同一視します。無いにも関わらず体が在ることとしていきます。するとこの体が美しい、醜いと執着することでよりこの体への同一化が強化されていくのです。どっぷりとこの体を自分自身と錯覚することができます。この夢物語に没入できるのです。これは夢ですが全存在、ワンネスがこの体こそ自分(主人公)と勘違いすることからこの夢はスタートします。故に不足感が延々と湧き続けます、この不足感の対象が体の美醜に行き着くケースもあります。もっと美しい体であれば、もっと鼻が高かったら、この不足感を満たすことができるのでは、、、

美しさの先にあるもの、、

女性が美しさに執着するのは男性との関係もあります、美しい女性は好条件の男性をゲットできる。そう思い込む女性は多いでしょう。この夢の中では不足感が常に湧いてきます、そしてその不足感を埋めるのに異性は最高のアイテムです。より魅力的な異性をゲットすることでこの不足感は埋まるのではと妄想します。そのために先ずは自身がより美しくならなくては、、、ですが実際はどれほどハイスペックな異性と成就してもこの不足感が埋まることはありません。成就した瞬間は思考が止まり自我が緩みますから感動があります、ですがそれは瞬間的なもの、次第にまた不足感が湧き出してきます。その不足感は相手への不満に変幻し相手への攻撃に変わります。

美しくなることを目標にして無心に入る

美しくなることが悪いことはありません、美しくなるという目標が悪ではありません。そこを目標にすることでそこから無心に入ることができます。そこに一緒懸命になることで無心、無思考、無我に入り込めればそこに歓喜、美があります。手に入れる美以上の美がそこにはあります。美を目指すことで美そのものになることができます。全ての美は思考が抜け落ちた時に湧き出てきます。その美とはワンネス、大いなる一つそのものです。

敵を作るのは敵を作ることで自我を強化できるから

夢に没入するためにあえて敵を作る

これは夢です、ワンネスが見る夢です。この夢はそう簡単に覚めないことが重要です。ワンネスが作る夢ですから簡単に覚めてもらっては困るのです。そのためこの夢の主人公はあえて敵を作ります。性格が悪い敵を作ることで主人公はどっぷりとこの夢の没入できるのです。敵は必ず主人公を攻撃してきます、それによって主人公は自身の存在に絶対的な確信を得ることができるのです。これは夢ですから主人公は実は幻です、実在しないのです。そんな主人公に敵が現れると何が起きるか?自分がいるという錯覚を強めることができるのです。敵が主人公を攻撃すればするほどに皮肉にも自身の存在を絶対的にできるのです。いないにも関わらず。

敵は最低であればあるほどいい

ハリウッド映画を観てください、必ず史上最低の敵が現れます。残虐非道、鬼畜、餓鬼、、あらゆる最低要素を全て持ち合わせたような敵が主人公とセットで登場するはずです。なぜこのような敵が頻繁に現れるのか?観る人を映画に没入させるためです。主人公は勿論映画の中の作り物です、その主人公の存在を絶対的な者にするためにどうしてもこの敵が必要なのです。これをこの現実世界でも主人公(あなた)はやります。敵を作るのです。

学校では苦手な友人が、職場では苦手な上司、ママ友でも苦手なママ、、、

あなたも記憶があるはずです。学校に行けば必ず苦手な友人、職場に入れば苦手な上司、ママ友の中でも苦手なママ、、、どこに行っても必ず登場する苦手な存在、、、これは偶然ではありません。自我は敵を作り出すことで自我を絶対的なモノにしていくのです。本当は存在しないからこそ敵を利用して自身を証明します。ワンネスはこうして夢に没入し夢を楽しみます。夢を映画のように壮大なストーリーに仕立て上げるのです。

HUMAN BEINGの意味

言葉とは面白い

人間、英語に訳すとHUMAN BEING、存在する人間、人間に、存在という意味が付け足されています。HUMANだけではない、、、BEINGが付いて人間であるということ。この言葉に私は真実をみます。言葉によるワンネスのヒントを感じざるを得ません。これは夢です、この夢の中に人間という個別の存在は実在しません。夢ですから。そうなるとこのHUMAN BEINGという言葉に妙なリアリティーを感じます。存在が人間体験をしているのがこの夢です。人間の正体はそれを体験する存在です。これは存在の夢です。

こんな自分とはもう関わりたくない

人は人生のどん底状態があまりに長く続くとこの言葉を言いたくなります。「こんな自分なんてもうゴメンだ。自分という存在にいい加減うんざりした。」心の中でこんな言葉を言ってしまう人は決して稀ではないでしょう。「人生なんて苦しみしかない」この発言の主は誰でしょうか。この自分を拒絶しているのは誰でしょうか。人間体験にうんざりしているのは誰なのか?答えはワンネスです。ワンネスが自分の夢の中でうなされているのです。ですがこの体験こそがワンネスが求めていたもの、完璧、感動、平和、安堵がその反対を体験したかった、それだけです。

存在が人間に同一化することでこの夢は始まる

存在が人間に同一化しますと人間体験がスタートします。存在が人間に同一化しなければこの人間ドラマはスタートしません。あなたが毎晩見る夢同様、夢とは主人公が登場することでスタートします。存在が人間に同一化することでこの夢は始まるのです。そしてこの同一化が終わると(死ぬと)夢は覚めます。同一化は夢をスタートする条件です。人間に同一化した存在は、物、権力、名誉、役割を同一化していくことでアイデンティーを強化していくのです。これらは夢から覚めないための取り組みです。存在が人間に同一化し続けるための取り組みです。

人間には感情を生み出す力はない

ワンネスが人間を使って感情を生み出す

人間には感情を生み出す力はありません、まず大前提としてこれはワンネスが見る夢です。人間は存在しているように見えますが実際は存在しません。登場人物として人間というキャラはいます。ですがこれは夢の登場人物ですから実在などしていないのです。そうなると日々湧いてくるこの感情は何なのか?ワンネスが人間というキャラを利用して発生させているのが感情です。だからこそ人間(本当はいないが)に感情を決める力などあろうはずがないのです。明日の朝こんな感情を発生させようという決意が無駄に終わるのはそんな力が皆無だからです。

人間とは不足感発生装置

人間とは不足感発生装置です。ワンネス作不足感発生装置=人間です。人間は常に常に不足感を発生させています。この不足感を満たすことができた時(形だけ)一時的な感動があります。金メダル会得、収入会得、名誉会得、恋愛成就、、、などです。その瞬間不足感がピタッと止まり感動を味わうことができます。これがワンネス作人間ドラマです。この感動を味わうためにワンネスはこの人間ドラマを制作しました。最終的感動とはワンネス作人間が壊れワンネスがワンネスに戻った時、つまり目覚めた時です。

人間ゲームを終わらせたいと思ったら

人間ゲームは苦しいゲームです、この夢の中(ゲームの中)に存在し続けるのは辛いものです。不足感が発生し続けるこのゲームは辛いのです。この人間ゲームを辞めたい終わらせたいと思ったらこの不足感を沸かせ続けるワンネスに意識を向けてみましょう。不足感を発生させるのは人間が必要ですが発生させている大元はワンネスです。ワンネス無くして不足感が湧くことは絶対に絶対にないのです。発生させている大元に意識を向けるとそこにはワンネス(歓喜、平和、安堵)がしっかりとあります。この瞬間もどの瞬間も絶対に逃げることのない存在それがワンネスです。

怒りが収まらない時の対処方法

怒りすらも不足感の代替

これは夢です、ワンネスが見る夢の世界です。あなた(主人公)の前に広がるのはワンネス(本当のあなた)の夢(本当のあなたが変化したもの)です。もうお分かりですね?あなた(主人公)の目の前にはあなた(本当のあなた)しかいません。生まれてきて今まで本当のあなたにしか会ったことがないのです。それに気づかない時、あなた(主人公)には不足感がただひたすらに湧いてきます。不足感、欠乏感がただひたすらに湧くのです、夢の中で。この不足感が何かしらの感情に変化してあなた(主人公)は常に動き回っているのです。その一つの感情が怒りです。

あなた(ワンネス)しかいない世界であなたを探し回るあなた(主人公)

あなた(主人公)は常に不足感を抱えています。常に欠乏感、孤独感を抱えています。それはあなた(主人公)があなた(本当のあなた)を見失っているからです。あなた(本当のあなた)に会いたいのにどこに行ってもあなた(本当のあなた)がいないからです。あなた(主人公)がムキになればなるほどにあなた(本当のあなた)は隠れます、なぜなら本当のあなたはこの夢の対象の一部ではなく、対象全部だからです。対象の一部をあなた(本当のあなた)だと勘違いしても直ぐにその真実を突きつけられるからです。このやり場のない感情が怒りです。

名声を得て安定を得て権力も得てそれでも湧き続ける不足感

この夢の中(本当のあなたが変化したもの)の特定の何かをあなた(主人公)が手に入れてもそれは直ぐに消えて無くなります。手に入れたのも一部(本当のあなたの)でそれを手に入れたのもあなた(本当のあなたの一部)だからです。「全部でないもの」を「全部でないもの」が手に入れただけのこと。全部にはなりません。ということでまた不足感が湧いてきます、そしてそれは怒りに変わります。だから怒りを否定するのではなく怒りの奥深くにある不足感に目を向けるのです。不足感はどこから湧いているのか?不足感が湧いているのはこのちっぽけなあなた(主人公)をあなたと勘違いしてるあなた(本当のあなた)から湧いています。その時本当のあなたを発見することができます。本当のあなたはここに居ました。怒りを発生させている場所こそが本当のあなたです。本当のあなたが勘違いをしなかったらこの怒り、不足感は湧いてこないからです。本当のあなた無しに全感情は湧いてきません。怒りが湧くということはあなたが本当のあなたである証拠です。

お酒を飲んでいる時は夢から覚めている

一般的イメージとは真逆

これは夢です、ワンネスが見る夢です。この夢の中で、、お酒を楽しそうに飲んでいる人は夢を見ているかのようなイメージ、現実逃避しているイメージ見えます。ですが実際は逆なのです、実はお酒を飲んでいる人はその瞬間だけこの夢から覚めた状態なのです。お酒を飲むと思考が緩やかになります、お酒を飲むと緊張感が緩みます、自我を構築するこの思考が根本的に緩むのです。結果夢物語への没入が緩みます。つまりワンネスがワンネスに戻っているのです、その瞬間は。お酒を楽しく友人と飲むと時間を忘れます、実はこの瞬間だけワンネスに戻り時間を超越したのです。時間の外に出たのです。この心身こそは自分だという思考(自我)が緩み没中、洗脳が解けたのです、一時的に。

仕事帰りの一杯はワンネスに戻るひと時

夢に没入している代表格は仕事です。仕事中は思考全開、思考フルマックスになりやすいもの、他者との複雑な人間関係は思考を活性化します。この状態は疲れます、夢の中に入り込めばこむほどに不足感が湧き出てくるからです。そんな仕事の帰り道に一杯お酒を飲んで帰る、これはワンネスへの一時的帰還なのです。なぜ体に毒を入れて幸福感が湧くのか?体に毒を入れてでもワンネスに戻りたいという衝動です。次の日に体調が悪くなってでもワンネスに帰還したいのです。

このメカニズムを理解することが重要

お酒の良否は横に置いておいてなぜ人がお酒で幸福感を得るかを知ることが大変重要です。人間からワンネスに戻るということがいかに幸福になれることなのかの証明です。太古の昔からお酒、タバコ、、、などの嗜好品と呼ばれるものが無くなることがないのは人間という存在が苦しいことの証明、そこから抜け出せるアイテムは常に必要とされます。

世界的遺品などは無我になって制作されたもの

人間が人間のままで作ったものではない

世界的有名作品、ゴッホやピカソ、モーツァルトやベートーベン、彼らの作品が100年以上経っても評価が下がらない理由、それは人間が人間のままで作った作品ではないからです。ここは夢です。この夢の中で人間という形で作られた人間作品は思考、自我が作ったものです。私は人間であるという思考に支えられた作品は人間の制作物です。ですが多くの人に感動を起こす作品とは人間が作ったものではない、つまり自我ではなく無我が作ったもの。思考が抜け落ち自我も抜け落ち無思考の状態、無我の状態で作られたものはそのまま神の表現です。リアルな神、ワンネスの表現になります。そこに人間が介在していません。

人間とはこの心身こそが自分と思い込む思考のこと

これは夢です。ワンネスが見る夢です、この夢の中に独立した人間は存在しません。あんたが見る夢の中に独立した存在がいないように全てはそう見えるだけの表現です。この夢の中でもこれは同じで人間という独立した存在はいないのです、ですがこの心身こそは私という人間だという思考は存在します。つまり人間とは思考のことなのです。この思考がフルマックス、前回の時、この夢の中では人間が活動をしています。ですが火事場の糞力ではないですが思考が抜け落ちた時などは人間はそこには存在せず神、ワンネスの表現だけになります。

人間がいなくなるのではない、元々いなかった

夢の中に人間という特別な存在などいるはずがありません。元々いなかったのです、そこにこの心身こそが自分だ(自我)という思考が出現しました。この出現により初めて独立した人間(私)が誕生したのです。元々居ないのですからこれを無くすのは簡単、思考(自我)が抜け落ちる状況を作ればいいのです。例えば火事場、例えば事故現場、ポジティブには作業への集中、所作の集中、仕事への集中、などです。ピカソ、ゴッホ、モーツァルトなど偉人と呼ばれる人々はこれに気づき実践した者達です。ですから彼らは実際には人間ではありません。人間という後付けを削ぎ落としたワンネス、大いなる一つです。

ここは儚い(はかない)世界

人が夢の中にいると書いて「儚い」

これは夢です。これはワンネス、大いなる一つ、認識する私が見る夢です。その中で主人公としてこの人間(私)が存在します。人間とは独立した体、思考を所有すると錯覚する存在です。夢の中にこの主人公が居ることを人偏に夢と書いてはかない(儚い)と読みます。この感じを誰が考えたか分かりませんがこの感じは真実を照らしています。人間が夢の中にいる状態を儚いと表現するのは大変面白いことです。人間としてこの夢に存在すると常に不足感、欠乏感が湧き出てきます、あらゆる欲の形をとって常に常に不足感を欲が代替されて現れます。そしてこの欲はどんなに満たして直ぐにまたお腹が空く、食事のように満腹に至っても6時間後には腹が空くのです。どこまで行っても満たされないこの夢(人間の現実)はまさに儚いものです。

旅行しても儚い感覚を覚えたらもうけもの

旅行とは非日常に行くことで楽しむものです。非日常に行くと思考がストップします、お店、空気、気温、花々、どれもが新鮮でその瞬間に思考がストップするのです。だからこそ人は旅行にたまに行きたくなるのです。ですがこの儚さを知っている人はもう旅行にそれほど魅力を感じなくなります。なぜならば家に帰ればまた元の日常が待っているのを知っているからです。この瞬間だけの歓喜、無思考に興味を抱けなくなるのです。一瞬の幸福、一瞬の歓喜、一瞬の安堵に興味を持てなくなってきたらもう儚さの意味を知るマスターです。

儚さからの脱却

長生きなんてしたくない、、生きていても楽しいことは一瞬であとは退屈な日々、このような境地に至ったらこの夢物語は大成功。夢の中の人間活動をしっかりと全うしている証拠です。人間活動とはそのようなものなのです、ほとんどの時間は退屈、苦痛で、たまに一瞬だけ歓喜らしきものがある。思考が止まったその瞬間だけが幸福、歓喜、安堵が押し寄せてきてそに波は直ぐに引いてしまうのです。ではどうしたらこの儚い夢の中で歓喜、幸福、安堵を積極的に得ることができるのか?それが無我に入る、無心に入る、無思考に入ることです。このブログでも再三お伝えしていますが反復、ルーティンで物事を達成していくということです。茶道、花道、書道的に人生を歩んでいきます。